忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

生まれた時から、そばにいて、導いてくれている
目に見えない”存在”を感じていた。
それは、人の形をしている光のようで、
時には話して聞かせてくれて、
時には言葉ではない出来事でメッセージをくれて、
時には目に見えない調整をして、
大事な人と出会わせてくれてたり、
いろんな学びをくれる存在。
子供の頃はシンプルに身近に感じていたのだけど。
私はその”存在”を”ガイド”と呼んでいます。

20歳位の時、お寺を見て廻るのが好きで、
山寺の古い国宝の千手観音を見た時、
その慈悲深いエネルギーに感じ入って、
なんだか強く印象に残って、
帰りに石に刻まれた千手観音のお守りを買って、
それから肌身離さず持ち歩いていた。
私はその時、その千手観音をフィルターとして選んだのでした。

だから、それ以来永らく、
私を導いたり、励ましたり、寿いだりしてれたのは、
千手観音と、その縁のある神仏だったのです。
大日如来とか、孔雀明王とかね。
それはとてもよく出来た装置満載のフィルターでした。
機能いっぱいのアプリケーションっていうか。

それがフィルターだと解かるようになった今は、
とてもよく解かるのです。
その機能が必要だったから、
そのような神仏と結縁したのね。

でも、その神仏も、
すべてがガイドの化身なのだなぁと、
今ははっきりと解かるのです。
もしくは、
ガイドが結縁を許す大きな精霊というかな。
代行として連れてきた感じかな。
どっちみち、ガイドの導きなのです。
その人が一番信じやすい形を用意するのです。
導けるのだったら、どんな姿にだって変化する。
ガイドは一番心に沿う形を知っている。
自分たちの存在を知ってもらうなどとは
二の次でどうでもよくて、ただ導ければいいから。

守護している人間をガイドはよーく知っている。
だって、彼らと私は、同じひとつの魂エネルギーだから。
同じグループの魂同士で、いわば魂のチーム仲間。
順繰りに仲間から離れ、
見えない細いチューブのようなもので繋がり、
この世に降りて生まれてくる。
生まれて生きている間じゅうずっと、
繋がっている仲間のサポートを受け、
魂の仲間と共に、私たちは学びながら生きている。

今生の学びもすべて終了すれば、
その記憶のすべてを、仲間の元に持って帰り、ひとつになる。
その仲間の前世も、自分の前世ということになる。
自分の前世も、仲間の前世。
ガイドたちと私たちは、もとはひとつのかたまりなのです。
”私はおまえ、おまえは私”なのね。

体をもらって生きている間は、
学びのために記憶もない、見通しも悪い状態なので、
知っている見えている”魂の仲間”がサポートしてくれる。
ハイヤーセルフという考え方が近いかもしれない。

サポート体制は、
たいてい担任と、専門分野の先生数人のチーム編成。
人によってチーム編成の内容は違うみたい。
で、学年が上がると担任が変わる事もある。
でも、前の担任もチームに入っているけどね。
校長先生もいるのよね。ふだんはあんまり出てこないえらい人。
でもまぁ、なんといっても頼りになるのは、担任ガイドです。
私専属の担任の精霊なんだから。
細かいところまで目が行き届き、手が届く。
でも、チームの彼らも、もとはひとつだから、
すべての情報は共有されています。

私たちがガイドたちと距離がある時、
彼らが私、私は彼らというような
一体感がないというか、繋がりが密でない時、
フィルター(化身)は必要不可欠らしいです。

もともとエネルギー体なのだから、
本当は姿かたちなんてないのに、
そのように視覚化というか、イメージを作るのです。
そうすることで、ガイドと人が繋がることが出来る。

繋がりを確認し、導きをもらい、
願いを伝えるには、化身を通す方が
解かりやすいからです。
これが、私の言う”フィルター”のこと。

ストレートにガイドと繋がることが難しくても、
化身を通して繋がっているんだから、
どのみち同じことなんですけどね。
ストレートの方が安心感・安定感が
あるっていうくらいですかね。

こちらがどのような時でも、
いつも導いて見守っていることには
まちがいはないわけですから。

こちらが見えようが見えまいが、
感じようが感じまいが、認めようが認めまいが、
そんなことは大したことじゃなくて、
見捨てることは絶対にない、唯一絶対の自分の味方、
それが”ガイドという存在”
・・・と私は感じています。

2007/06/27 

PR
1  2 
ブログ内検索
カウンター
読み解きに役立つ本です!








【share】 する
クリックしてね

忍者ブログ [PR]