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はじめまして。wacoと申します。
別のブログでこのcocoroncho(以前のタイトル)という
スピリチュアルについてのお話を書いていました。
書いている間に、整理がしにくくなりまして、
初めて来られる方にも分かりやすいように
こちらに移転し、整理しつつ、同じ内容をアップしています。

「cocoroncho」もとい「毎日がスピリチュアル」は、
wacoが子供の頃からガイド(守護霊・スピリチュアルガイド)から学んできたことを
まとめて書いているものです。

私はどこかの特定の先生について勉強していていません。
出会ったすべての人が先生ではありましたが・・・・
どこか特別の場所でも修行してきていません。
今までの人生すべてがスピリチュアルな学びそのものでした。

私が毎日学んできたスピリチュアルを皆様と分かち合いと思います。

よろしくお願いいたします。
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私が言う、神様って?という説明した方がいいかなーって思いました。
もちろん、これは私の感じ方で、ちがうと感じる人もいると思います。
だって、管轄ちがうと、表現がちがうから。

それは、宇宙だと言う人もいます。
命の源、生命の根源、創造主、光、この世の大本、真理、
如来仏、仏陀、主、キリスト、アラー、
太陽、大地、天、そして、人間も神だと。

それは全て正解だと思う。

神様という言葉を私が使うのは、一番説明しやすいからです。
白いお髭で、後光が光っているお爺さんの形ではありません。
人の形とはちがいます。光のかたまりのように感じます。
いえ、光よりももっと豊かです。

宇宙すべてであり、宇宙そのもの。
限りなく豊かですべての霊(生きている人間も含む)の源。
宇宙という巨木の幹かな。
私たちは小枝の先の葉っぱのようなもの。
神様が大海原だとしたら、私たちは海水の一滴の粒のようなもの。
私たちは神様の一部。

葉っぱも木の一部で、海水の一粒も海の一部でしょ?
だから、私たちは神様なのね。
端末の端っこなので、全体は分かりにくいんじゃないかしらね。

端っこの私たちの魂は、一人ずつ個別にいるんじゃなくて、
グループというか、チームというか、一枝?固まり?になっています。
人数は人それぞれかも?たいてい5、6人?このへんは私は定かではないです。
枝分かれとかもするし、魂自体、新しく生まれたりもするので、
何人制でも、どうでもいいような気もするけど。

で、選ばれて(順番かな)、体を持つことのできる、この浮世に生まれてきます。
その間、仲間の魂たちは、モニターでライブのドキュメンタリー見ているように、
浮世での仲間の魂の人生を一緒に疑似体験しています。
サポートしてくれる仲間でもあります。
それが守護霊って言われる魂たちです。
神様の大本に近い、いろいろ分かっている方がチーフ守護霊ですね。
それぞれ、得意な分野のサポートが付きます。教科ごとに。

そうだ。そういえば、
こんなことを守護霊さんから言われたことがあった。

「人はひとりひとりコンピューターのようなもので、
それぞれちがう設定でプログラムされていて、
それぞれ必要なアプリケーションがインストールされている。
そして、それぞれがちゃんとメインコンピューターとつながっている」

ネットとかする前に言われたのよ。
ネットでブログとかしている今の方が、
おお!うまいこと言うなあ!と思う。
私たちはサーバごとにページを持っているでしょ?
そして初めてネットの世界に登場している。
魂のチームは、同じサーバを使う仲間に似てるかなあ。

子供の頃から、生まれる前からの記憶を持っている私は、
生きていることが嬉しくてしかたない人でした。
足で地面を歩く感覚、手で水をかく感覚、頬で風を受ける感覚、
それを感じられることは、飽きもせず楽しくて楽しくて、
ここに存在している私、それがもう、とっても嬉しくて嬉しくて、
それはもう、にこにこでご機嫌な子供でした。

実は今もそう、ふとした時に、感じる。
あ、私、ここにいる。生きている。人間やっているんだねーって思うと、
その時、どんな大変な問題を抱えていようと、
ちょっと、うふふってなっちゃう。

そんな時、私の精霊などは、うらやましがっています。
体があって、この世で体験を積み重ねられるなんて、
なんてうらやましい!!って。

母親の胎内に宿り、体をもらい、生まれてきた私たちは、
そうでないものたちから見ると、垂涎の的。
なんとした幸運!うらやましい境遇!なわけです。

なぜうらやましいか?って?
私たちの本当の姿は、体のない霊魂です。
魂だけの状態になっている私たちは、自分の波長と同じ場所にいて、
同じ波長の魂の仲間たちと集まり、そうでない波長の魂とは
通常、あまり接触がなく、自分たちの学びをしてます。
高校のようなものかしらねー。同じレベルの人が集まっていて。

仲間たちの中から順番に体をもらって、この世にやってくる。
仲間たちは天上から、体をもって生まれた人を通して、
この世を見て、一緒に学んだりしている。
テレビを見るみたいに。モニタリングしているのね。

この世は、波長のちがうあちらこちらから様々な魂年齢の人が
同じ場所に同じように体を持つことで、出会う場所です。
自分とちがう人と触れることは、とても勉強になります。
異文化コミュニケーションなわけだから。

それに加え、体のある物質の世界にいると、
転んでしまって痛い、とか、
風を受け止めて心地よく感じる、とか、
何かが起こって、それを感じて、気持を動かすことができる。
有限の体があることで、生まれる喜びも、失くす悲しみも体感する。

もちろん、体がない状態で、モニタリングしている仲間も、
一緒に疑似体験して、学んでいる。

でも、テレビを見ていても勉強になるし、感動するけれど、
実際に体験する感動とは比べものにはならないでしょう?
留学している人のドキュメンタリーを見ていて、
勉強になるけど、実際に留学して得た学びにはかなわない。
うらやましいなーって思うでしょう?

そんなわけで精霊たちは、私たちをうらやましがっているんです。
体をもらった私たちは、精一杯生きていることを味わいましょうねー。

私はずっと、語りたいと言う衝動は持ちつつ、語らないできました。
たとえば、神様との会話について、前世が見えることについて、ヒーリングについて。
魂について。精霊について。カルマについて。生きることについて。

話したらおかしいと思われることが嫌、話しても理解されないことが虚しかったから。
否定されることに、抵抗があったから。
子供の頃から虚空の浮ぶ、体のない光る存在と話をしていました。
変わった子とか、頭がおかしいとか言われるので、口をつぐむようになった。
これまで何度もチャンスはあったけど、どうしても抵抗があって、
特定の分かってくれる友人にしか、語ることができなかった。

このブログではなくて、ブログを初めて一年経っています。
そこで、「スピリチュアル」について、語っているブログがいっぱいあることを知りました。
目に見えないことについて、知りたいと思い、勉強して、学んでいる人たちが、たくさんいる。
そんな人たちのブログを訪ね、時々、抑えられなくてコメントを書いたりしているうちに、
だんだんと、自分も語る場所を持ちたくなったのです。
幸い、今は敷居が低いですね。ブログという手段があるから。

そんなわけで、wacoは自分の心を語るブログを作ることにしたのでした。
ここで、思いっきり、語り合いましょうねー。
長くなってもかまいませんから。コメント入れてくださいねー。

ところで、私は、どこか特定の団体や組織に属してません。
どこかで修行もしていません。本は読んでいるけど、そんなにたくさんじゃないかも。
だから、言葉が分からないことがあります。自分の言葉でしか語れません。
また今からどこかに属す気もありません。
私はすでに地球に属しているだけで十分なのです。あと人間とか、地球とかに。
そこらへんはご承知おきください。
モノゴコロつく頃、両親はもめていて、ひっこしやら離婚やら、
父の再婚で母親が代わるやら、ごたついていて、
何年かは物事が流れてゆくのを見ているだけで精一杯でした。

やっと落ち着いた頃、私は海に繋がる湖のほとりに住んでました。
景色の良い、湖の中のいくつかある埋立て出来た小さな島の、一番海側の端っこ。
県立公園の中に家がありました。そこは私のパラダイス。
住んでいる人も子供も少なかったけど、自然が多いことは何よりでした。
自然は私の友達だったもの。
それから島の端っこに水面を望むように立っている石造りの観音様の足元が
私の一番好きな遊び場所。
観音様の足が乗っている蓮の上に一緒に乗っかり、沈む夕陽を、毎日のように眺めた。

その頃からです。私が神様、と呼ぶ存在と話をするようになったのは。
最初は、南の方角の海の上の空の方の、雲のたなびく辺りから、
声を、存在を感じたんです。
そこから光が差している。自分の方に向かって。
寂しがる子供をなぐさめてくれていたんですね。

その頃にはもう「変わった子」だった私は、誰一人理解者がいないというような
よるべない気持ちをいつも持っていましたから。

この頃教えてもらったことは、
いつもそばに神様はいる。ということ。
この世はとても美しく、愛しい世界だということ。
本当に金の粉が舞うように輝いている。
この美しさを楽しみ、表現することが私の仕事のひとつだということ。
私は神様の元から生まれてきて、この世を旅してから、いつかまた帰るということ。

この時は、まだ気持ちの悪い恐いものも見えたので、
時々、恐い思いもしたけれど、神様はちゃんと守ってくれていた。

南の方に住んでいる神様は、最初は空の彼方にいたけど、
いつしか、呼べばすぐに近くに来てくれるようになりました。
頭の上あたりでキラキラと。

今になると分かるけど、私の管轄の神様は南西諸島らへんにいる神様だったのね。
私は沖縄の地に降りた時、とても懐かしくて、さらにだんなの生まれ島に降りた時、
「あ、私、ここに帰って来るんだ」と感じました。
だんなとの出会いは南の空の彼方の神様の導きだったのね。

そうそう、神様にも管轄っていうか、担当があります。
たいていは生まれたところか、育ったところの氏神様とか、
縁の強い神社が多いですかね。
親が幾度と御参りに行っているとか。自分も何度も行っているような神社。
日本人なら、たいてい思いあたると思います。
教会だったり、お寺の仏様という人もいます。
お稲荷様とかもありかな。山の神様もありだな。

それと神様以外にも、もっと人間に近い霊・守護霊も守ってくれているし、
チームで連携して、守ってくれているのが普通です。

その時々必要な担当者がきてくれるの。教科別の先生みたいに。
校長先生が担当の神様って感じかしら。
だから、神様ごとに個性があるんですよね。校風みたいに。

おっと、こんなこと言って、えらい人に怒られたくないなあ。
あくまでも、私の感じ方ですからねー。
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