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子供の頃から、生まれる前からの記憶を持っている私は、
生きていることが嬉しくてしかたない人でした。
足で地面を歩く感覚、手で水をかく感覚、頬で風を受ける感覚、
それを感じられることは、飽きもせず楽しくて楽しくて、
ここに存在している私、それがもう、とっても嬉しくて嬉しくて、
それはもう、にこにこでご機嫌な子供でした。
実は今もそう、ふとした時に、感じる。
あ、私、ここにいる。生きている。人間やっているんだねーって思うと、
その時、どんな大変な問題を抱えていようと、
ちょっと、うふふってなっちゃう。
そんな時、私の精霊などは、うらやましがっています。
体があって、この世で体験を積み重ねられるなんて、
なんてうらやましい!!って。
母親の胎内に宿り、体をもらい、生まれてきた私たちは、
そうでないものたちから見ると、垂涎の的。
なんとした幸運!うらやましい境遇!なわけです。
なぜうらやましいか?って?
私たちの本当の姿は、体のない霊魂です。
魂だけの状態になっている私たちは、自分の波長と同じ場所にいて、
同じ波長の魂の仲間たちと集まり、そうでない波長の魂とは
通常、あまり接触がなく、自分たちの学びをしてます。
高校のようなものかしらねー。同じレベルの人が集まっていて。
仲間たちの中から順番に体をもらって、この世にやってくる。
仲間たちは天上から、体をもって生まれた人を通して、
この世を見て、一緒に学んだりしている。
テレビを見るみたいに。モニタリングしているのね。
この世は、波長のちがうあちらこちらから様々な魂年齢の人が
同じ場所に同じように体を持つことで、出会う場所です。
自分とちがう人と触れることは、とても勉強になります。
異文化コミュニケーションなわけだから。
それに加え、体のある物質の世界にいると、
転んでしまって痛い、とか、
風を受け止めて心地よく感じる、とか、
何かが起こって、それを感じて、気持を動かすことができる。
有限の体があることで、生まれる喜びも、失くす悲しみも体感する。
もちろん、体がない状態で、モニタリングしている仲間も、
一緒に疑似体験して、学んでいる。
でも、テレビを見ていても勉強になるし、感動するけれど、
実際に体験する感動とは比べものにはならないでしょう?
留学している人のドキュメンタリーを見ていて、
勉強になるけど、実際に留学して得た学びにはかなわない。
うらやましいなーって思うでしょう?
そんなわけで精霊たちは、私たちをうらやましがっているんです。
体をもらった私たちは、精一杯生きていることを味わいましょうねー。