毎日がスピリチュアル
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先生に直接お会いする前に、
Fさんから「これが先生よ」と先生の写真を見た時、
「あれ?・・・・お母さん?」と私は思わず呟いてました。
なぜか、幼い頃に別れた生みの母かと一瞬思ったのです。
いつの間にか占いの先生になっていたとか?
いやいや、すぐに違うと分かる。
だって、先生の方が母よりも10くらい年が上なのだ。
それに冷静によく見るとちょっと似ているかもしれないけど。まったく別の人だ。
私の母よりも目がパッチリとしていて、悲しい顔はしていないし、先生はずっと美しい。
そして、先生がやってくるという日、
どれだけ私がそわそわしてハイになっていたか。
心がはやって落ち着かなくて、大変でした。
会社を休んじゃったりして、いてもたってもいられず、
朝からFさんの家に行き、電車が着くという時間には、
Fさんと一緒にお迎えに行きました。
改札口に、先生と3人の青年のお弟子さんが現われました。
着物姿の先生の姿は、観音さまのようでした。
慈悲溢れるという感じです。
それから、お弟子さんたちは、当時の私にとっては、
5つから10歳くらい年上のお兄さんのような感じ。
私は生まれて初めて感じる感覚に、
すっかり子供のようにはしゃいでいました。
先生やお弟子さんたちが初めて会ったように感じないのです。
それどころか、ずっと馴染んでいる家族のような感じ。
懐かしくて、居心地がいい。
そして、私は自分が七つか八つの子供のように、
スキップしているような感じでいる。
私は、いつもどちらかというと落ち着いた、大人びた子供だったのです。
頑固でエキセントリックではあったけど、
かんしゃくを起こすこともなく、取り乱すこともなく、
親が怒っている大人の理由も理解するような子供だった。
そんな子供時代よりも、子供っぽくはしゃいでいる自分に驚いた。
Fさんの家に着き、先生は荷物をほどかれ、お客様を迎える準備を済ませ、
混んでくるのは夕方からだから、と私のそばに座って話をしてくれた。
「私も、あなたにとても、縁があると感じるのよ」と
またしても観音様のように優しく微笑まれた。
それから先生は私に、ひとりだけいるというの娘さんの話をした。
娘さんがまだ小さい頃、先生が病気になって長く入院し、
その間、知り合いに娘さんを預けたのだそうです。
先生が死んでしまうかしれなかった、その病気を克服し、
(その病気を克服したことで世界が光り輝いていることを感じ、
神仏と通じるようになり、占い師になろうと決意されたのだそう)
娘さんを預かってくれた知り合いのご夫婦にお礼を言ったところ、
そのご夫婦は、娘さんが可愛くて可愛くてしょうがないので、
ぜひ養女にくれないかと言ってきたそうです。
そのお話は丁重にお断りしたのですが、今でも親交は続いていて、
娘さんを可愛がってくれているそうです。
「それはね。娘が前世で、そのご夫婦の子供だったからなのよ。」
と、先生がにっこり笑われたのを見て、
自分でも知らずに、私の目から涙がこぼれてきたのでした。
「あれ?なんでだろう?涙がとまらない」と私が言うと、
先生はぽんぽんと自分のひざを叩いた。ここでお泣きなさいと言うの。
私は先生の膝につっぷして、えんえんと声を出して、子供のように
泣きじゃくっていました。「おかあさーん、おかあさーん」と。
その時、前世での親子であった姿、私は小さい男の子だった。
それだけでなく、天上でも先生は私の母だった。
そのビジョンが見えたのです。
私が初めて前世と認識したビジョンでした。
ひとしきり泣いて、先生の膝が濡れてしまっていると気付いて、
泣きやんで先生の膝から顔を上げると、
にっこりと観音スマイルを浮かべる先生もまた涙ぐんでいた。
はっと、周りを見回すと、周りに、Fさんやお弟子さんも、
微笑みながら涙ぐんでいる。
「私にも分かるわ。親子だったのね」とFさんが言うと、
先生が「そう、今まで一人で寂しかったわね」と言い、
私はまた涙があふれてしかたなかった。
先生たちと会うことで、今までいつもこの世にたったひとりきりでいるような
寂しさの中にいたのだと、黒と白のコントラストのように、
はっきりと分かったのでした。
これが、私と前世の母とのめぐり会いでした。
Fさんから「これが先生よ」と先生の写真を見た時、
「あれ?・・・・お母さん?」と私は思わず呟いてました。
なぜか、幼い頃に別れた生みの母かと一瞬思ったのです。
いつの間にか占いの先生になっていたとか?
いやいや、すぐに違うと分かる。
だって、先生の方が母よりも10くらい年が上なのだ。
それに冷静によく見るとちょっと似ているかもしれないけど。まったく別の人だ。
私の母よりも目がパッチリとしていて、悲しい顔はしていないし、先生はずっと美しい。
そして、先生がやってくるという日、
どれだけ私がそわそわしてハイになっていたか。
心がはやって落ち着かなくて、大変でした。
会社を休んじゃったりして、いてもたってもいられず、
朝からFさんの家に行き、電車が着くという時間には、
Fさんと一緒にお迎えに行きました。
改札口に、先生と3人の青年のお弟子さんが現われました。
着物姿の先生の姿は、観音さまのようでした。
慈悲溢れるという感じです。
それから、お弟子さんたちは、当時の私にとっては、
5つから10歳くらい年上のお兄さんのような感じ。
私は生まれて初めて感じる感覚に、
すっかり子供のようにはしゃいでいました。
先生やお弟子さんたちが初めて会ったように感じないのです。
それどころか、ずっと馴染んでいる家族のような感じ。
懐かしくて、居心地がいい。
そして、私は自分が七つか八つの子供のように、
スキップしているような感じでいる。
私は、いつもどちらかというと落ち着いた、大人びた子供だったのです。
頑固でエキセントリックではあったけど、
かんしゃくを起こすこともなく、取り乱すこともなく、
親が怒っている大人の理由も理解するような子供だった。
そんな子供時代よりも、子供っぽくはしゃいでいる自分に驚いた。
Fさんの家に着き、先生は荷物をほどかれ、お客様を迎える準備を済ませ、
混んでくるのは夕方からだから、と私のそばに座って話をしてくれた。
「私も、あなたにとても、縁があると感じるのよ」と
またしても観音様のように優しく微笑まれた。
それから先生は私に、ひとりだけいるというの娘さんの話をした。
娘さんがまだ小さい頃、先生が病気になって長く入院し、
その間、知り合いに娘さんを預けたのだそうです。
先生が死んでしまうかしれなかった、その病気を克服し、
(その病気を克服したことで世界が光り輝いていることを感じ、
神仏と通じるようになり、占い師になろうと決意されたのだそう)
娘さんを預かってくれた知り合いのご夫婦にお礼を言ったところ、
そのご夫婦は、娘さんが可愛くて可愛くてしょうがないので、
ぜひ養女にくれないかと言ってきたそうです。
そのお話は丁重にお断りしたのですが、今でも親交は続いていて、
娘さんを可愛がってくれているそうです。
「それはね。娘が前世で、そのご夫婦の子供だったからなのよ。」
と、先生がにっこり笑われたのを見て、
自分でも知らずに、私の目から涙がこぼれてきたのでした。
「あれ?なんでだろう?涙がとまらない」と私が言うと、
先生はぽんぽんと自分のひざを叩いた。ここでお泣きなさいと言うの。
私は先生の膝につっぷして、えんえんと声を出して、子供のように
泣きじゃくっていました。「おかあさーん、おかあさーん」と。
その時、前世での親子であった姿、私は小さい男の子だった。
それだけでなく、天上でも先生は私の母だった。
そのビジョンが見えたのです。
私が初めて前世と認識したビジョンでした。
ひとしきり泣いて、先生の膝が濡れてしまっていると気付いて、
泣きやんで先生の膝から顔を上げると、
にっこりと観音スマイルを浮かべる先生もまた涙ぐんでいた。
はっと、周りを見回すと、周りに、Fさんやお弟子さんも、
微笑みながら涙ぐんでいる。
「私にも分かるわ。親子だったのね」とFさんが言うと、
先生が「そう、今まで一人で寂しかったわね」と言い、
私はまた涙があふれてしかたなかった。
先生たちと会うことで、今までいつもこの世にたったひとりきりでいるような
寂しさの中にいたのだと、黒と白のコントラストのように、
はっきりと分かったのでした。
これが、私と前世の母とのめぐり会いでした。
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