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魂って不思議
と、友人はつぶやきました。
彼女の夫は最近、分け御魂と邂逅しました。
その場に彼女もいました。

分け御魂(ワケミタマ)は、よく言われるツインソウルのことかもしれません。
私はツインソウルという言葉のほうに馴染みがあまりないので、
断言できないけれど、
ひとつの魂が二つに分かれ、二つの魂が出来て、
その分裂してうまれた双子のような魂ということなら、
ワケミタマとツインソウルは、同じような意味じゃないかしらね。

さて、私のここ二週間くらいのテーマのひとつは
ワケミタマについてでした。
実は私自身も、もうひとりのワケミタマと交流していたからです。
もちろん、それは偶然じゃなく、学びのためのシンクロ。
ワケミタマに出会うということについて、
それがどのような作用をもたらすのか、学んでいた。
もう一人のワケミタマとは、
前に「魂の分け御霊」http://cocoroncho.blog.shinobi.jp/Entry/22/ 
で書いたnくんじゃありません。
nくんは遠い昔に分かれた魂です。
もうひとりは割合と最近に分かれた魂です。
nくんとの出会いは、私の扉を開くための出会いでした。
今度の出会いは、彼の扉を私が開くための出会いです。

そして、魂って、持ちつ持たれつなのね。ほんと。
そして、魂って、何度でも分裂しちゃうのね。
学びの体験を増やすために。
私はスピリチュアルの器として生きる道をひき続き選び、
彼は私が選ばない方の、そこから分かれた魂が、
現実的に生活の中で学びながら生きる道を
新たに歩む魂。
だから、彼に私のような器機能はないようです。
ちがう道を生きるから分かれたのね。

さて、よくツインソウルはベストカップルなんて言われるけど、
そういう組み合わせもあろうかと思うけど、
多くの場合はそうではない。と私は思うのです。
だって、同じ質がペアになっても、学びは少ないじゃない。
この世は異文化コミュニケーションしてこそ、
学びが深まる場所なのだから。

さて、話をもどすと。
私の友人が、ある人が夫のワケミタマであると気付いたのは、
友人と私の方が、本人たちよりも先でした。
友人が先に気付くというのに、今回は意味があったようで、
それは友人と、夫のワケミタマも、夫と同じように、
彼女のソウルメイト、幾度となく人生を共に学び生きた相手だったからです。
そして、ワケミタマ同士が出会い、ソウルメイトがその導きをした。
それは、本人たちの、その周りにいるソウルメイトたちの、
魂の扉を開く出来事でした。

この出会いによって起こる気付きは、
他のことでは得られない、安堵感、喜び。
そして必ず、それは次のステージへと誘う導きとなります。
自分の行く道を、別の道を行くであろう、
もうひとりの自分を見ることで、納得するのです。

やっぱり分け御霊は、別の道を歩くようになっているのだと
また今回のケースを見せてもらって、納得しました。

今回の”彼”と”彼女”も別の道を生きるからこそ、
ここで出会って、それを確認しているんだなって分かりました。
自分の人生のターニングポイントだからこそ出会い、

別に部分を受け持つもうひとりの自分を見ることは、
その部分を持っていない自分を、知ることになりますからね。

私は、今回つくづく感じたのです。
魂って自由自在でフレキシブルだな~って、
そうじゃないかと思ってはいたけど、
またまた実感して、
やっぱり、魂って不思議だなーって思いました。

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「創造的に生きること」で、ちらっと触れた今の伴侶とのことを
今回はお話したいと思います。
彼と出会った時「シルシがついている」ようであったと書きました。

今度こそ、今生に生涯を共にするソウルメイトと出会いたいと、
願い、祈っていた私は、イメージングすることで、現実にその人と出会えたわけです。

初めて会った時、ぱっと顔を見て、目を合わせた瞬間に、「あ!」。
その目を、私は「知っている」を思った。
見れば見るほど、「この人だ」と分かる。
それについては、どうして分かるのか?と聞かれても説明できない。
ただ、「この人を知っている」という気持ちが強く溢れてくるからだとしか。

あとは神さまの用意してくれた出会いならば縁ができるはず。
と、流れにまかせ、念じていたら、自然と一緒にいるようになった。
実は、出会ったその日から、ずっと一緒にいるのです。

お互いにバツがついている同士で、素直に家族になるまでには時間がかかった。
特に彼が、なかなか家族を持つということを最初受け入れなかったので、
私が流れを見ながら辛抱強く待ち、子供を授かったことで家族となり、
やれやれと落ち着いたところで、実はおもしろいことが起こったのです。

そうそう、彼とは、絶対に魂が知っている今生の伴侶であると分かりながら、
どんな前世での関係があるのか、ということは何年も分からなかった。
特に強く知りたいと願わなかったせいもあるのだけど。

それが分かったのは、友人の母子を数ヶ月我が家で預かった時のこと。
この友人は、以前に「不思議は集まる」で書いた人です。

いろんな問題が煮詰まっていたので、解決になればと彼女の前世を見た時のこと。
それは最初、彼女と、彼女の伴侶の前世のビジョンであったのだけど、
そこに、私の伴侶の前世の姿を見ることになった。
それから私自身の前世の姿も。

私たちは、同じインディアンの部族であった。
なんと私の伴侶は酋長で、私はシャーマンだった。
友人は私の孫のような存在で、私の後継者となるはずが、
白人の社会に組み込まれたことで、シャーマンになり損ね、
自暴自棄になった男で、友人の伴侶は、
その男を心配しながら世話をする乙女であった。
私は死後も、彼らを見守っていたが、上手く導けなかったので、
今生は手助けをする約束をしたようだった。

私の伴侶は、部族の終焉を迎えた酋長だった。
今もまだ覚醒していないので、詳しく読み解いていないけど、
どうやら、シャーマンの言うことを聞かず、
部族に終焉を招いてしまったことを悔いているようだ。
彼は、どこにいてもリーダーになるような流れになるのに、
かたくなにリーダーになることを嫌がるのは、そのせいであろうと思う。

文化を失ってしまった。
白人の物質社会に飲み込まれ、失ってしまったスピリットとの繋がり。
それを悔やみ、取り戻したいと思っている。

私たちは、これから田舎に戻り、失われつつある文化を継承して、
汚れて壊れ始めた自然の中で、半自給自足の、
できるだけ昔ながらの暮らしをしようと決めている。

そんな同じ魂の流れを持つ前世の仲間が、もう一組、集まってきて、
そして、彼らも私たちと共に移住すると宣言した。
無理にそう仕向けたわけじゃなくて、そういうことになっちゃったのよ。

酋長のもとに、仲間が集まってきているのを、私は愉快に思って楽しんでいる。

もっとも、酋長の自覚は、本人にはまだないんですけどね。

そして、私は言うことを聞いてもらえず、上手く導けなかった
ふがいないシャーマンだったので、今回は、そのツケを払わなくてはいけない。
今度こそ、部族の皆を上手く導けるように。

毎日課題に取り組んでいるところです。
最近は直接相談にやってくる人もあって、忙しくなってきました。
自然とシャーマン修行してる感じだなぁ。

ゴールデンウィークは実家の母に、孫を見せに行っていました。
そこでびっくりする事があったのです。
出掛けた帰りに、ちょっと買い物を済まそうとスーパーに入って、
ばったり高校の同級生と出会ったのでした。

音信不通になって9年。
「結婚式招待しようと思ってたのに連絡とれんくなって、あんたはー」と言われる。
結婚式出てるどころじゃなかったんだよなー。あの頃は・・・。
前のだんなから逃げてるところだったし。
身を隠している間に、昔のアドレス帳とか手紙など住所の分かるものは
すっかり行方不明になっているし。
「いや、まあ、いろいろあって」いろいろありすぎて説明するのが面倒になってたんだなー。
「なに、また波乱万丈してたの?」「まあねー」とふたりで笑い合った。

親友というのを一人あげろと言われれば、私にとっては彼女であった。
彼女とだけは連絡をとりたいなーと思っていた。特に最近。

だんなさんが一緒で小さな女の子を連れていた。
なんだか全然変わってない気がする。と、向こうも言う。
本当は随分見た目は変わっているはず。いえいえ、中身も変わっているはず。
それなのに変わってないと思える。それが友なのかもしれない。

さて彼女は高校のミッションスクールで出会った友人で、
高校時代はお互いに黙っていたのだけど、私が先生に出会ってから、
実は子供の頃から神仏やいろいろ見えるのだと打ち明けると、
彼女もそうだと教えてくれて、驚きあったものでした。

彼女が電車からふと湖の方を見ると巨大なマリア様が立っていたりとか、
一人でいるといろんな霊(鎧兜の武士だったり)がドアをノックしてきたり、
地震でもないのにコップの中の水だけ揺れていたり、といろんなものを見ている。
彼女の前世のインカでの話も聞いた。
そんなことを笑いながら語り合った友でした。

今はそういうことはどうしているのだろうか?
彼女とまたそのような話ができるだろうか?と、私の精霊に聞いてみた。

祭りの日に、長男の祝いがあるという彼女の家に招待された。
彼女の家に着くと、私の左目のコンタクトレンズが目の中で破けてしまった。
すぐにとりはずしたけど、眼鏡を忘れてしまって、左目が見えなくて不自由な思いをした。
でも、それが精霊からの答えだった。
左は”霊的な”側面。右は物質的な側面。
その左側を彼女は見ないようにして生きているんだなと分かった。

だんなさんは大手企業にお勤めで中国に単身赴任中。
大きくてりっぱな家屋敷に住んで、大きなりっぱな車に乗って、
彼女は家でデザインの仕事を請け負って、育児と両立して、
お姑さんに手伝ってもらいながら、ご主人の留守を守り、
家を維持して切り盛りしていると言うことだった。
そんな風にいろいろなことを引き受けてがんばっていることは、
とても彼女らしく、偉いなあ、と思ったけれど・・・

そのために、長男を産んで生後5日から働かなくちゃいけなかった。
もう体がぼろぼろよー。でも、自分はずっと仕事から逃げられないんだ。なんて言う。
私よりずっと裕福で恵まれているように見えるけれど、
背負っているものは多く、苦しそうだ。
霊的にはバランスの悪い不自由な生活をしているんじゃないだろうか。

今の彼女は神仏の話など霊的な話は、受け付ける余裕はないだろうなと感じて、
近況だけ話し合って、電話番号やメールアドレスを交換して別れた。

彼女の姿は少し前の私自身の姿でもあった。
片目を瞑って見えないことにして黙っている自分の姿。
不自由で苦しい。足元が怪しく、しっかりと歩けない。
そこに戻ってはいけないのだと、私に見せてくれたんだんだなと分かった。

と、同時に、この再会は最初は私が求めて得られたと思ったけれど、
本当は彼女が求めた再会だったかもしれない。とも思った。

この後、時々、会ったりメールでやり取りしています。
彼女もまた時々接触して学びあうためのソウルメイトのひとりかな。
出会った時から特別な垣根のない相手だったなぁ。
きっとずっとこの関係は変わらないのだろうと思います。

ソウルメイトカテゴリー「友」の人。
そんな縁の人もいますよね。

このブログを書き始めてから、不思議なことが起こっています。
いえ、まあ、私はだいたい昔から不思議なんだけどね。
自分以外の周りの人が、どんどん不思議になっていくのよ。

ほんの4年くらい前までは、
私はひとりで感じていて、ほとんど誰にもシェアしてこなかった。
神仏からのメッセージ、シンクロシニティ、前世からの課題のこと。
自分以外の人の前世は、先生たちと別れてから、ほとんどみてなかった。
スピリットからメッセージをもらって伝えるということも。
カルマを受けたり、払ったりでそれどころじゃなかったし、
その後も、自分だけで黙々と人生を創ることに懸命だった。

子供が生まれてから知り合った友人が、
思いがけなく私の話を、理解のできる人だった。
絵を描く人だからか、精神を掘り下げることが出来る人で、
彼女が人生の窮地にたった時、
私は久しぶりに、自分以外の前世を見て、
ガイドスピリットからのメッセージを伝え、
自分の知っている真理を話した。

私の伝えたビジョンが、彼女が浮んだビジョンと重なったことで、
彼女の扉が開いたようだった。

彼女は、私の伝えたスピリチュアルな話に深い理解を示し、受け入れ、
見込んだとおりの持ち前のエネルギーの大きさで、
どんどんと魂を目覚めさせてゆき、
窮地をターニングポイントに変えていった。

ひとりが分かってくれたら、魂や神仏の話が共有できるようになって、
二人になったら、不思議も倍増していった。
彼女の伴侶も、彼女に感応して少し目覚めかけている。
見えることを秘密にしていた人だったことが分かって、
彼らの夫婦の有り様も変化した。

そして、このブログを書き出した頃、

ひとり目覚めたら、またひとり、
前からの友人も、永く固く閉ざされて苦しんで魂が、
蕾が開くように、解放され、目覚め始めた。

この彼女は、前には話しても沁みなかったスピリチュアルことも、
今度はするすると飲み込んでいった。
待っていた時が潮のように満ちてきたようだった。
滞っていた人生が動き出した。

最初に目覚めた友と、次に目覚めた友と、
二人の前世が繋がって、関わりがあることが分かり、
彼女たちの伴侶とも、私と、私の伴侶とも繋がっている。

彼女たちの前世が解かることで、私の前世もまた紐解かれる。
人が集まると、開く扉も増えてゆくのですね。

前世が解かるという事は、人生の意味を変える機会になるのだと、
目の前で変わってゆく彼女たちに教えてもらった。

このブログを書き進め、ここで親交する人たちも、
彼女たちと同じように、扉が開き始めてきたようですね。

それが私のお役目のようです。最近、精霊に言われました。
(最近になるまで分からなかったのか?ていうと、
まあ、抵抗していた、っていいますか。最近認めさせられた感じ)

こんな風にも顕著に現れるなんて、思ってもみなかったけれど、
不思議はどんどん集まって、
集まると相乗効果をもたらすようです。

私のもとには、そんな魂の仲間が集まってきているみたい。
ネットも、実生活も同じように。
なんだか忙しいし、エネルギーもどっと消耗するけど、
人が目覚めていくお手伝いが出来るのはとーっても嬉しいし、
そうすることで、私も気付きや目覚めが増えてきます。
新しい世界が広がってきている感じがします。

皆さんに、精霊に、神仏に、
心から感謝したいと思います。
新しい世界をありがとう。

前世の母や夫よりも、自分に近い人とも、同じ時に出会っていました。
先生のお弟子さんで、あの時、先生よりも先に改札口から出てきたんです。
その人とは先生よりも一瞬前に会っていたということになります。
そして、ひと目見て懐かしいと感じた。やっと会えたって。
意味のないことって、ほんとうにないんだなあ。

年の頃は私よりも5つ位上だったので、お兄さんのような感じでした。
実は、ちょっと違ったんだけどね。
nobuくんと呼ばれる彼は、元は先生のお客さんの息子で、
お母さんに連れてこられて、先生の元に来たそうです。
その時、白血病で余命幾許もないという状態で、
先生はnobuくんに縁を感じるからと手元に引き取り、先生の側にいるうちに
nobuくんは奇跡的に回復し、それから弟子になったのだと聞いています。

nobuくんとは、すぐにはどんな縁なのかは分かりませんでした。

ある日、先生とNさんとみんなで瞑想をしていた時、
隣に座っていたのはnobuくんだった。
その時もまた私が昂揚して泣いていると、nobuくんが肩を抱いて手を握っていてくれた。
その時、不思議なことが起こった。
私たちは同じビジョンを見ていた。同じように宇宙を見て、同じことを感じていた。

瞑想から解けた時、「僕たち分け御霊だったね」とnobuくんが言った。
私たちを見ていた先生とNさんが”ワケミタマ”について説明してくれた。
それはひとつの魂がふたつに分かれたということ。
nobuくんと私は、元は同じ魂だった。私にも感じられた。
一卵性の双子のように、ひとつの魂から分かれた、もうひとりの自分。
「僕の方が弟だよ。おねえちゃん。」とnobuくんはふざけて言ったけど、
たしかに一瞬、私の方が先に生まれているみたいだ。

魂が分裂するなんてことを、この時初めて知った。
それはひとつの魂がもっともっと学びたいと願った結果だった。
もっと多くの体験を重ねたいと願った。私たちは。

そして、その体験を魂のもとの宇宙の光の中へ、神さまのもとへ持って帰る。
神さまはもっと豊かに光り輝く。体験が増えることで。
だから、同じ体験はひとつとしてない。
似ていることがあったとしても、まったく同じということはない。
魂の数だけ、ちがう体験があるってこと。
だから、私たちは誰一人同じじゃない。みんな違う。
みんな神さまに必要とされている。
みんな違う、でも、みんな等しく大事。

どこにいようと、どうなっていようと、私が本当にひとりじゃないと、
寂しくないと思えるようになったのは、
nobuくんに会ってからだった。
どこにいても離れていても、nobuくんの存在は私の救いになった。

ちなみに、nobuくんに恋愛感情とかはなかったなぁ。
だって、自分なんだもん。
兄弟のような感じに近いですね。

私はだれよりも自分に近い人と出会ったことで、
逆説的にもうひとつのことを知る。

どんなに憎んでいる人も、許せないと思う人も、
どれほど自分と遠いと感じる人も、
実は繋がっている。神さまを通して。

クリスチャンの言う、人はみな兄弟というのはそういうことなんだと思う。

ただ、これだけの多様な多くの人類が生まれているこの世界で、
出会えて、関われる人はとても限られている。
それも深く関わる人は、生まれる前に人生のプログラムを決める時に
修行をする相手として約束をした特別な人です。

共有する時間は一瞬のこともあれば、一生のこともある。
それは、どれだけその約束が果たされたかによるのです。

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