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この頃このことについてよく考えるんです。
前世そして、スピリットガイドという表現方法は、
例えば、カードや四柱推命や、カラーやアートヒーリングや夢解きと同じ、
魂(無意識とか深層意識でもいい)を映し出す方法のひとつに過ぎない。
他のツールと大差ないと、私は思っているんです。
私がカードなんかの代わりに使っているんだよねって。
私のフィルターが相手の魂を分かりやすく伝えるために
表現しているということですね。

だから、私はこれだけが万能の真実だと
限定してはいけないかもしれないと思うことがあり、
もちろん自分が使っているツールだから、否定してない。
無意識を引き出すために非常によく出来ているツールなのです。
でも、これは参考のひとつ、ヒントのひとつとしてほしいと思うから
これを時々、使いたくないなーと思う時がありまして、
四柱推命だけのリーディングでまとめようとするんだけど、
そうすると、イマイチ心に響かないようなんです。
前世やスピリットガイドという表現をすることが
やっぱり私には求められているし、私に相談する人には必要なんだよねー。
と思い直すんです。

心に響けば、それが大事なことだから、
ツールにこだわることないと思うので、
逆説的に、こだわりなく使うわけです。

私は前世の説明をするのは、
その思いを昇華するきっかけになるようにと
そのお手伝いが出来れば私の出来る最善だと思ってます。
インナーチャイルドと同じで「知ることが手放すこと」で
納得出来たら、それは前世から引きずった思いなだけで
今生ではそれを昇華しよう、手放そうと思っていただけたら、
それが最も望んでいることです。

相談相手の方にその課題に取り組むために
ちょうどいい時期が来たからこそ、
ちょうど乗り越えるターニングポイントに来たからこそ、
そのビジョンが浮かんでくるのだと私は思っているのです。

その今がちょうどいい、という時だということは、
私は”すべてガイドの采配”だと言っていますが、
”集団無意識の仕業” ”宇宙の意思”かもしれません。
どっちにろ、見えない何かの仕組みがいつもいい塩梅にやってくれるのを
私は経験上知っているので、お任せします。
もちろん私にはとうていコントロール不能で、
ただそれを感じるがままに伝えることに徹ればいいのだと認識してます。

私は自分では意識的にはコントロールしてません。
意識していたら、その方にぴったりのビジョンを
無意識から引っ張ってくることは出来ないと思うのです。
スピリットガイドに聞くというやり方は
無意識を使うスィッチのひとつなんだと思うんです。
考える頭脳というより感じる心を信じることで
そのビジョンは引き出されるのだと思うのです。

このことを考えていて、ずっと自分を観察してて
分かったことがひとつあったんです。
私ときたら、頭の中ですべてビジュアルで考えてるじゃないの!
これ普通のことだと思っていたけれど、
もしかしたら他の人は違うんじゃないかなと思ったの。

日常生活のちょっとした手順を考えるのも、
掃除とか料理とかも、あと簡単な計算でも、
とにかくありとあらゆる考える作業を
夢を見ているように映像化してるんです。
全部が映像で理解したり推測したりしてるんだなー。
だから、ビジュアルに置き換えられないことは考えられない。
って、ことかもしれない。
んー。もしかして、右脳しか使ってないっていうか、
全部右脳で処理してるんじゃなかろうか?
左脳があんまりお粗末なんで、右脳がかわりに
全部やってるっていうのが私みたいなタイプなのかも?
これ、全部仮説ですが・・・・

私、生まれつき、左の腎臓はなくて、
代わりの右の腎臓が普通の倍以上あって、
この一個の腎臓がまた普通より性能いいんです。
大人になって問題起きて初めて分かったんですけどね。
そういうことがあるんだから、
脳みそにもそんな偏りがあっても
おかしくないよねーーーーーって、
なんだか我ながらちょっと納得してるんです。

このことについては、
自分の勝手な推測なので、
ご意見があったら、教えてください。
メールでもけっこうでーす。

でも、ほんとに自分を知る旅に終わりはないですねー。
とてもワクワクする旅です。
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お話を少し前に、戻しますね。
前世の母の先生や、前世の夫や、分け御霊のNくんと出会い、
親交を深め、魂のこと、神仏のこと、カルマのことなどを、
先生たちと触れることで学んでいった私ですが、
今までの寂しさを思うと、先生たちと供にいたいと望むようになりました。

先生の弟子になって四柱推命をやろうかしら?とその勉強もしてみます。
先生たちの事務所があり、Nさんが住んでいる東京に住もうかしら?とか、
Nさんのようにヒーリングをもっと勉強しようかとか、
とにかく先生たちのお近くにいられるようにと、いろいろと思い巡らしていました。

それまでやっていた商業デザインの仕事にも、急に意欲がなくなって、
もっと、先生たちに近い生き方がしたいと思いました。
仕事をやめて、治療師の勉強をしてみたり、ヨガに打ち込んだり、
その頃はニューエイジと言われていたスピリチュアルなワークショップにも
いくつか参加して、親との関係を見つめなおしたり、
共通の興味を持つ新たな仲間を見つけたり、
シャーリー・マクレーンの本や、聖なる予言といった
山川紘矢さんが訳したいくつかのニューエイジの本も読みました。
自分でも小さなワークショップを開いてみたりもしました。

そんな風に学んでいけばいくほど、分かってくることがあります。

先生たちといると、私は一番末の子のように、
甘え、安心して、認めてもらいたい、愛されたいという気持ちでいっぱいになる。
先生たちは、私を認め、愛してくれるけれど、私の欲求はきりがない。
それに気付くと、居心地が悪くなってくる。
本当のところ、そこは私の居場所ではないのです。
正確に言うと、私が今生に生まれてきた目的は、先生の元に留まる事ではない。
先生たちは私にもう十分教えてくれたのだ。
先生たちとの約束はここまで、なのだ。
いつまでもいると、私は先生たちに自分の人生の生き方も
何もかも教えてもらおうと求め、頼ってしまう。
それではいけないのです。私の人生の目的は果たせないのです。
”人生の目的”はこの時点でまだはっきりとわからないのですが、
”私の人生は、此処にはない”
それが、だんだんと分かってきたのです。

それに先生のところには、もう一人の私、分け御霊の一人が、
すでに先生に寄り添って、助けている。
それとはちがう体験をする、”もう一人”である私は、
先生のところを離れ、別の体験をするべきだ。

私は先生たちと離れなければいけないということを、渋々と受け入れ、
自分の居場所を求めて、またもがき始めることになるのです。

カルマを払うために、苦しい修行の時も迎えることになります。
それを経て、そこからまたひとりで居場所を求め、
先生から離れて10年を経て、やっと自分のいるべき場所を見つけました。

今の夫と出会い、家族を得て、その先へ向かっています。

今、私は誰かに認められようと焦ることはなく、自分の人生を誰かに尋ねることも必要ない。
答えはいつも自分自身で見つけることが出来る。
そして、今、生まれる前に、私と供に人生の修行をし、導く約束をしていた人たちが
私のもとに集ってきてくれる。

此処に私の居場所があります。

神さまとお話することや、
弱っている時は恐い妖怪みたいのが寄ってくることなんかは、
大人になるまで、ほとんど誰にも話さなかった。
ちょっと話すだけで変なこと言うって顔されたから。
どうも、自分以外の周りの人には見えないらしいとわかって、口をつぐんでいた。

ところが、高校生の頃、手のひらから出てくる、ビリビリするエネルギーのことが
詳しく知りたいと思った。
それから、自分が神さまと話すようなことを、
どこかの宗教では、もっと詳しく教えてくれたりするのだろうか?
誰にも理解されない私に起こることを、誰か説明してくれないだろうか?
と思って、あちこちの宗教の門も叩いてみた。
キリスト教や新興宗教、仏教、神道・・・エトセトラ。
話を聞きに行くが、なんだかどれもしっくりこない。なにかが違う気がする。
古い真実、伝えられるうちに形だけになってしまったもの、という感じがした。

ある新興宗教なんて「信者にならないと今度は人間に生まれ変われない」なんて言う。
この世の終わりがくるようで。そしたら信者以外は、人間じゃないものになるんだって。
百歩譲って、そうなるとしても、例えば私は石ころになってしまうんだとしても、
地球が残って、この美しい世界は、存在するんだったら、その一部の石ころになるんだったら、
私はかまわないや。と思った。それで私はどこかの宗教に属すのはやめた。
また私は、誰とも神さまについて話さないことにしていた。

もうだいぶ昔のことですが、私も若かりし22歳の春。
原因不明の高熱が何日も出た。
弱っているので、私を魔界に連れ込もうと、魔物たちが周りを取り囲んだりしている。
何日めかの夜中、私は「お前たちになんか用はない」と、
魔物を必死に追い払ってから、起き上がった。
すると、天井から光が差して、広がった。光で出来た階段が見えた。
そこへ上がっていけば、天国に行けるんだって分かった。
どうぞ、上がってきてもいいよ。と神さまが言った。
生まれてからそれまでの人生が、本当に走馬灯のように、映画のように見えた。

それで私は、
それは出来ない。だって私は、まだ何にもやるべきことをやってない。
ということに気付いて、神様に許しを請うた。
どうか、自分がしなければいけないことを成すまで、この世に留まらせてください。と。
成すべきことがなんだかも、まだ分からないけど、
でも、分かるところまでも、辿り着いてない。とても天国へ戻れない。

そう言った瞬間、目の前には光り輝く千手観音さまが浮んでいた。
たくさんある手のひとつが、私の頭に乗せられた。
すうっと熱がさがって、楽になった。
「それでいいのですよ」と微笑まれた気がした。

はっと気がつくと、私は自分に起こったことに、興奮して、
離れて住んでいた、育ての母に電話して、初めて神さまのことなどを打ち明けた。
「そうだったの。それを聞くといろんなことが納得できる」と母は言ってくれた。
それから母には見えないけれど、何度も死に掛けているので、
やっぱり走馬灯のように人生が見えたことなんかを話してくれた。

翌日には、よろよろしながらも起き上がって病院へ行ける程、元気になっていた。
何日も寝込んでいたのがウソのように。
それから体力が戻ってから、久しぶりに会社に出勤した私は、
なぜかその頃、親しくなったばかりの同僚のTちゃんに、
千手観音が現われて熱が下がった事を嬉しくて話してしまった。
今までではありえないことだったのだけど、
なんでだか、話していたのよね。
もちろんその人に、今まで、そんな話を一度もしたことなかったのに。

彼女はとても興奮して、「すごい!すごい!良かったね!」と喜んでくれた。
そして、「ぜひ紹介したい人がいるので一緒に来てほしい」と言った。
宗教には懲りている私は、ちょっと疑り深く、行くのを渋ったのだけど、
彼女は宗教とかじゃないけど、占いをやっている先生のお世話をしている人だと言った。
何度目か誘われて、私は”その人”に会ってみることにした。
”その人”も宗教じゃないけど、神仏と話をする人だと言うので。

そうして、私は、自分以外の、神仏と話をする人と初めて会うことになったのでした。

私が会社の同僚のTちゃんに連れられて、出会ったのは、
Fさんという私の母と同じくらいの年頃の女性でした。
だんなさんを何年か前に亡くし、子供がいないかわりに、
自分の周りに集まってくる若い子たちに関わることを生きがいにしているようでした。
でも、老若男女、人が集まり賑わっています。
サロンみたいに、人が集まって、お茶を飲んでおしゃべりしてるの。
なんだか、とっても温かくウェルカムな雰囲気のところ。

Fさんは、ひと目見て、「あ、お地蔵様だ!」と思った。
そのような丸いお顔で、そのような体型で、そのような優しい笑顔なんですって。ほんとに。
「Tちゃんから聞きました。千手観音様と出会われたのですって?
私は、夢の中で地蔵菩薩と出会ったのよ。」(あ、やっぱり)
Fさんは、四柱推命という占いをする先生に出会って、神仏に出会うようになったと言った。
それから、私たちは夜中まで神さまについて語り合った。
私には生まれて初めてのことでした。
感じたままに、神さまのことを話し、それを自然に受け止め、共感してくれて、
さらに似たような体験をし、それについて勉強したりしているFさんとの会話。
だから、堰を切ったように、尽きることなく話すことがありました。
Fさんは、「現世での年齢ではないのね。今は若いけれど、
私よりも魂のお年はおねえさんのように感じるわ」と言ってくれ、
子供のような年齢の私を、対等に扱って語り合ってくれました。
Fさんと出会えたことが、とても嬉しかった。
そんなFさんの家へ、私も事あるごとに立ち寄るようになった。

話題は、よく四柱推命の先生のことになりました。
占いを超えた霊感のある先生で、お会いするだけで感動するという。
でも、当時私は占いにも懐疑的だった。それまで、あんまり当たっていると思ったことがないのだもの。
実は中学の頃からまったく生年月日の同じ仲のよい友人がいるのだけど、
彼女と私は、似ているところはあるけれど、性格も環境も、まったく違うの。
彼女は私のように、見えないものを感じることはないし、神さまの話もピンとこないようだった。
雑誌などの占いを見ても、私の疑問に答えてくれそうなものは占いに感じたことはなかった。
だから、先生のことも、会ってもいないから解からないなあ、なんて思っていた。

ところが、ある時、Fさんから電話が来た。
先生に私の話をしたところ、とても縁があるのを感じるから、
ぜひ鑑定してみたい。無料でいいから生年月日を教えてもらえないかと言われた。
ちょっとびっくりした。でもまあ、無料ならばと生年月日を教えた。

しばらくすると、一本のカセットテープと鑑定書の入った封筒を渡された。
鑑定書は偏印とか比肩とか、訳のわからない漢字が並んでいて、まったく理解できなかった。
カセットテープは、そんなに年でもない男性の声だった。
先生は女性でFさんよりも年上と聞いていたから、大勢いるという先生のお弟子さんの一人のようだ。
そして、カセットテープには、
「あなたは普通の人よりもエネルギーの強い人だと思います。
例えるなら、4つ位ターボが余分についているような感じで、
たぶん、前世で修行僧のようなことをされていたのだと思います。
そして、霊的な力や芸術的な感性が強いと思われます」というようなことが入っていました。
驚いたのは、「たぶんお母さまとは、小さい頃に死別か生別されておられて、
義理のお母さまに育てられたのではありませんか?」
と言っていることです。このことはまだFさんにも話してはいなかったと思います。
「孤独の暗示がありますから、寂しいと思われることが多くあったと思います。
自分のことを上手く話すことが出来ないということもありますね。」ということも、
当たっていて驚きました。
その他の内容も、言い当てられてびっくりすることばかりで、
私は初めて四柱推命ってすごい占いだわー、と占いについての考えが変わりました。
先生に会えるのがとても楽しみになってきました。

先生の事務所は遠方にあって、Fさんは最初、先生の事務所に
出向いて何人も何十人も紹介しているうちに、
二ヶ月に一度二日だけ、先生が来てくれるようになり、
無料で自宅を開放していたのです。
先生は大勢の人を鑑定するために、何人かのお弟子さんを伴ってやってくるのだと言う事でした。
次に先生たちが見えるのは、二週間ほど後のことでした。

 

先生に直接お会いする前に、
Fさんから「これが先生よ」と先生の写真を見た時、
「あれ?・・・・お母さん?」と私は思わず呟いてました。
なぜか、幼い頃に別れた生みの母かと一瞬思ったのです。
いつの間にか占いの先生になっていたとか?
いやいや、すぐに違うと分かる。
だって、先生の方が母よりも10くらい年が上なのだ。
それに冷静によく見るとちょっと似ているかもしれないけど。まったく別の人だ。
私の母よりも目がパッチリとしていて、悲しい顔はしていないし、先生はずっと美しい。

そして、先生がやってくるという日、
どれだけ私がそわそわしてハイになっていたか。
心がはやって落ち着かなくて、大変でした。
会社を休んじゃったりして、いてもたってもいられず、
朝からFさんの家に行き、電車が着くという時間には、
Fさんと一緒にお迎えに行きました。

改札口に、先生と3人の青年のお弟子さんが現われました。
着物姿の先生の姿は、観音さまのようでした。
慈悲溢れるという感じです。
それから、お弟子さんたちは、当時の私にとっては、
5つから10歳くらい年上のお兄さんのような感じ。
私は生まれて初めて感じる感覚に、
すっかり子供のようにはしゃいでいました。

先生やお弟子さんたちが初めて会ったように感じないのです。
それどころか、ずっと馴染んでいる家族のような感じ。
懐かしくて、居心地がいい。
そして、私は自分が七つか八つの子供のように、
スキップしているような感じでいる。

私は、いつもどちらかというと落ち着いた、大人びた子供だったのです。
頑固でエキセントリックではあったけど、
かんしゃくを起こすこともなく、取り乱すこともなく、
親が怒っている大人の理由も理解するような子供だった。
そんな子供時代よりも、子供っぽくはしゃいでいる自分に驚いた。

Fさんの家に着き、先生は荷物をほどかれ、お客様を迎える準備を済ませ、
混んでくるのは夕方からだから、と私のそばに座って話をしてくれた。
「私も、あなたにとても、縁があると感じるのよ」と
またしても観音様のように優しく微笑まれた。
それから先生は私に、ひとりだけいるというの娘さんの話をした。
娘さんがまだ小さい頃、先生が病気になって長く入院し、
その間、知り合いに娘さんを預けたのだそうです。
先生が死んでしまうかしれなかった、その病気を克服し、
(その病気を克服したことで世界が光り輝いていることを感じ、
神仏と通じるようになり、占い師になろうと決意されたのだそう)
娘さんを預かってくれた知り合いのご夫婦にお礼を言ったところ、
そのご夫婦は、娘さんが可愛くて可愛くてしょうがないので、
ぜひ養女にくれないかと言ってきたそうです。
そのお話は丁重にお断りしたのですが、今でも親交は続いていて、
娘さんを可愛がってくれているそうです。

「それはね。娘が前世で、そのご夫婦の子供だったからなのよ。」
と、先生がにっこり笑われたのを見て、
自分でも知らずに、私の目から涙がこぼれてきたのでした。
「あれ?なんでだろう?涙がとまらない」と私が言うと、
先生はぽんぽんと自分のひざを叩いた。ここでお泣きなさいと言うの。
私は先生の膝につっぷして、えんえんと声を出して、子供のように
泣きじゃくっていました。「おかあさーん、おかあさーん」と。

その時、前世での親子であった姿、私は小さい男の子だった。
それだけでなく、天上でも先生は私の母だった。
そのビジョンが見えたのです。

私が初めて前世と認識したビジョンでした。

ひとしきり泣いて、先生の膝が濡れてしまっていると気付いて、
泣きやんで先生の膝から顔を上げると、
にっこりと観音スマイルを浮かべる先生もまた涙ぐんでいた。

はっと、周りを見回すと、周りに、Fさんやお弟子さんも、
微笑みながら涙ぐんでいる。
「私にも分かるわ。親子だったのね」とFさんが言うと、
先生が「そう、今まで一人で寂しかったわね」と言い、
私はまた涙があふれてしかたなかった。

先生たちと会うことで、今までいつもこの世にたったひとりきりでいるような
寂しさの中にいたのだと、黒と白のコントラストのように、
はっきりと分かったのでした。

これが、私と前世の母とのめぐり会いでした。
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