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例によって、空亡の作用を受けて、籠もりがちになってましたー。
時々、こんな風に、目に見えないエネルギーの作用を受けて、
じっと籠って、言葉も出てこない時があります。
愛について、どう説明したらいいだろうか?
と、ずっと、考えていました。

愛って、みんなの琴線に触れる言葉なんだなぁと改めて思いました。
当然なのだけどね。
愛のすべてを理解するために、この世に生まれてきているのだから。
愛が言葉で説明しきれるものなら、
何度も生まれ変わり、人生を重ね、修行する必要はないのだもの。

愛をどう説明すればいいだろうかと思った時、
”大好き”という言葉を使う時の気持に似ていると思った。

私は、この世界がとにかく大好きと、時々無性に思う。

大地も空も海も木々も、鳥も魚も動物も、この星はとても美しくて、
そして人間たちも、みんな一生懸命生きている。
その営み、重ねてきた歴史も、儚い文明の街も、この星をとりまく宇宙も、
すべての存在そのものが、なんと愛しいものだろうか?
と、時々とても強く思う。

これはたぶん、精霊たちの持っている思いが私に流れ込んできて感じる思い。

私の精霊は、私にメッセージをくれる時、
よくこのように呼びかけてくる。

”愛し子よ ”または ”愛しい人よ ”と。

彼らは自分たちが守護している人間たちを、
とても、とても、愛している。

私たちが何をしても、許し尊重し、
彼らの、私たちへの愛はゆるぎない。

存在そのものをそのままで受け止め、
否定をしない。批判しない。ジャッジしない。
精霊の存在を知らない人でも、認めない人でも、問題じゃない。

精霊たちがよく使う言葉は、
そうです。そのとおりです。
あなたの思うままに。思うとおりにやってごらんなさい。

だって、「まちがい」は、ないのだそうです。「学び・気付き」があるだけ。
そして気付きがあった時に祝福してくれる。

それから、時々、こんなことを言う。

あなたが生まれた時から、ずっとそばにいた。
これからも、いついかなる時も。

今回は精霊たちの、私たちへの愛について。でした。

そうだ。おまけにもうひとつ。

愛というと、マザーテレサのような偉大な愛を想像して、
とても出来ないと、思ってしまうこともあるかもしれない。
私もです。マザーテレサのようには実行できません。

私の精霊は、こう言っていました。

愛の行為は、犠牲になることじゃない。
救世主になることじゃない。
今いるところから、愛していると思うだけでいい。
自分を愛している。子供たちを愛している。
人々を愛している。世界を愛している。と思うだけでいい。って。

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”愛が足りない”というメッセージは、実はことあるごとに受け取っていました。

最初に受け取ったのは、
私が最初の結婚でDVを受けている最中でした。
その時、私は神さまや精霊たちとは、シャットダウンの状態でした。
それでも、時々、忘れかけていた友からの手紙のように、
メッセージやサインをもらっていた。
補足なしなので、消化できないことも多くて、
この時も、最初、このメッセージを素直に理解することも、実践することも出来なかった。
私にはこれ以上出来ない!これ以上愛なんてどこからも出ない!
という、自分の叫びの方が強かったのです。

それでも、もらったメッセージについて考えてみた。
そこに答えがあるというのは分かっていたから。

この時の生活を体験したことで、
暴力をふるう人について、よく分かったことがある。
怖れているのだ。自分を否定されること。認められないこと。
こんな自分でも受け止めて愛してくれと訴えている。
本当の愛を受けずに育ってきたから、愛が枯渇しているのだ。
愛が足りなかった結果のひとつなのだ、と。

自分についても考えてみた。
私も愛を求めていたのだ。(つまり、私も足りてなかったということね)

私は虐待も放置もされてはこなかった。
義理の母が、ちゃんと育ててくれた。
でも、どこかに「ちゃんと育てなければいけない」、
という義務感があるのを感じていた。
そして、実の両親からは見捨てられた、愛されていないと感じていた。
どこかにいつも、寂しさを感じていたのは、そこから来ていると思う。

気狂いになるほど(暴力を振るって姿はまさにそう)愛を求める人に、
自分のすべてを捧げるほどの愛を与えれば、
私も愛してもらえるのではないかと思っていたのではないだろうか?

唯一連絡をとっていたリーディングのできる友人に言われた。
あなたはいつも、自分を後回しにしている。
自分をまず大事にしなさい。それからでしょ。と。

そういえば、弟が未熟児生まれの弱視で、体が弱く手がかかり、
”ものわかりのいい子”だった私は、自然と自分は後回しでもいいという癖がついている。
それに父親はいつも自分を優先にして、子供のことはあまり考えない人だった。
義理の母も、そんな父を結局は許して、父を優先するというスタンスをいつも取っていた。

人を助けたい、救いたいと思う人は、
本当は自分が助かりたい、救われたい気持があるのだ。とも言われた。

私はまずそこを認めなければならなかった。
私の愛は、自分が愛されるための手段ではなかったか?

自分を認めず、尊重できず、愛せないままでは
人を助けることも、相手を満たすほど愛を注ぐことも出来ないのだ。
順番を間違えていた。

自分の器に愛のエネルギーが満たされていなければ、
愛を与えることなんて、出来ない。
この時は、「愛が足りない」という言葉は、自分に向けての言葉だったのだ。

最初の”愛が足りない”というメッセージを受けて、
私は自分への愛を満たすことを始めることにした。
自分を大事にすること。自分を認め、尊重すること。
それは、自分以外の人を切り捨てることだろうか?
私は人としての義務を果たさないことになるのだろうか?
と、悩んだけれど、
このままでは、自分自身がダメになってしまう。
自分がおかしくなってしまう。
自分への愛を満たすことが最優先でした。

勇気を出して、自分を愛し始めた私は、
再び、神さまや精霊たちと繋がることが出来るようになったのです。

愛の形は様々で、すべての人が同じ行程をたどるとも思えない。
けれど、もし”愛が足りない”というメッセージを受けて、苦しく感じた人は、
自分自身の器に愛が足りていないのでは?と
まず考えてみてください。

精霊が、「特に幼子は」と言及したことも、意味があります。

誰よりも愛し癒さなければいけないのは、
自分のインナーチャイルドかもしれません。

おとつい精霊から突然、言われました。

愛が足りません。
この世界には、愛が足りないのです。
絶対的に足りていないのです。
あらゆる悲しい出来事は、すべて愛が足りないから起こっています。

自分の周りでは足りていると思っていますか?
十分に愛されている、愛していると?
毎日のように、テレビで悲しい出来事を見るでしょう?
周囲の人からも、何かしら苦しんでいる話を聞くでしょう?

この星に居るすべての人に、愛が充分でないために、
様々なことが起こっているのです。

まったく絶対量が足りていないのです。
愛の出し惜しみをしています。
このくらいでいいだろうと思ってはいけません。

例外なく、すべての人にもっと愛を注ぐ必要があります。

時には、あなたを傷付ける人にも。
許されざる大罪を犯したと思われる罪人にも。
批判なくそのままを認め、許し、受け入れましょう。
そして、愛のエネルギーを送ってください。

それから特に幼子には、七分目、八分目の愛ではなく、
器が溢れるほどに、充分な愛のエネルギーを注ぎましょう。
子供を愛のエネルギーで包み込むほどに愛しましょう。
愛して過ぎるということはありません。

愛のエネルギーは無限です。
太陽の光のように、限りなく与えられています。
使えば使うほどに、泉のように湧き出るものです。
出し惜しみせずに、枯渇する心配などせずに、使ってください。

誰よりも、自分自身も、愛のエネルギーを受けましょう。
愛のエネルギーに包まれてください。

・・・というようなメッセージでした。

同じようなメッセージを、どうやら同時期に多くの人が受け取っているようですが、
このメッセージを、分かち合うように言われました。

このメッセージを受けた翌日、前々から家族で懸念していたことなのですが、
息子の発達が遅く、三歳児クラスではお友達についていけないので、
療育センターに相談してはどうかと、保育園で言われました。

愛についての、次のレッスンがさっそく始まりました。

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