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カウンセリングのお仕事を本格的に始める前のことですが・・・

私はみなさん一人一人にも星を出し解読させていただいてます、
人生の初期設定と、私が言っている、
生まれ持ってきた課題のひとつに取り組んでおりました。
それを済ませないと次へいけない、という課題ですね。
私はそれを初期設定クリアと言っています。

さて、私の設定はというと、

なにごともガイドの示した通りに、受け入れて導かれて生きていた私が、
今度は自分で決めて、自分で示し、自分で創造してゆくということで、
なにしろ、生まれてこの方受身だったのを、変えるわけで、
つまり、人生に受身で、すべて甘受してしまうのが設定で、
意識して人生を創造的に変えてゆくというのが、設定クリアになります。

それと、自分の能力を自分で掘り起こし、表に出さないと、
才能は埋もれたままで、地中に潜ったままになるので、
仕事として成功できないという設定で、
潜らないで地上に花を咲かせることが設定クリア。
なっかなか難しいーーーー。

でも、これから初期設定クリアの最後のレッスンなんだ、
次へ行くんだって決心して、選択して、
新しいガイドのもとで、
次々とスポ根レッスンに取り組んできました。
もーう、いいでしょ?
全部クリアしたんじゃないかなー?
まだだめなんだー???
って、ところで、実は少し停滞していたんです・・・
さすが初期設定の壁は厚い。

私の仲間も軒並みそのようで、口々に、もう少しだと思うんだけど、
まだ何か足りないみたい。
何かなー?って言っていました。
魂の仲間というのは、なぜかシンクロというか、歩調を合わせるもので、
もしくはちょっとだけ時間差とかね。
学びを深め助けるガイドたちの調整だと、私は思ってます。
もちろん、あと少しの何かは、
初期設定がちがうので、それぞれなのですが、微妙にリンクしてるの。

友人の一人は、
どうしても人の目や評価を気にするところがあって、
人の評価じゃなくて、自分がどう感じたかが大事で、
自分が自分の目盛りなんだって思えないことがどうしても残っている。
私と話していて、友人はそれだ!って気付いて、
そのへんの揺るがないレッスンに入ったようです。

私も、「現実はすべて心の反映」と言いながら、
「すべてっていったらすべて」と思ってなかったことに気付き、
反映に失敗して、誰かに責められるんじゃないかって、
自分でも気付いていなかったけど、
私の中に意識していなかった「恐れ」があるってことなんだけど、
それをなかなか克服できないでいたんですね。

なかなかすとんと腑に落ちないでいたら、
くり返しくり返しガイドに示され、大事なことに気付いた。

例えば、何か失敗して、とか何かが分からないことで、
酷くなじったり、体罰を受けることがこの世にはあるけれど。
実は「そうしないと治らないじゃないか」って、
「鍛えている」とか、「教えている」って考えが、
それをしている人にはあるのよね。
それをさせているガイドたちにもね。
価値観や表現が違うので、
なんてひどいんだー。ひとでなしー。ってされる方は思うけど、
その表現がひどいってことは置いといて、
している人の意識はどうなんだってのは置いといて、
現実は、自分の心の反映なわけだから、
魂的理由なくして起こってないわけです。

あくまで自分の問題と考え、理由の元をどんどん遡ると、
やっぱり私の魂を鍛えるために、っていう
ガイドというか、神仏というか、宇宙からの愛があって、
それゆえに起こっているわけで、
そっか、やっぱこの世の基本は愛なんだな。
って、その思いに至って納得したんです。
この世は本質はやっぱり愛から来てるんだって。

今までも、いつも世界は愛ゆえに私に合わせてくれていて、
合わせてくれた結果、このようにあるんだ。
そして、私に合わせて世界はいかようにも変化してくれる。
私が変われば私を取り巻く世界は変わるのね。
だから
「世界中はすべて私の味方なんだ!」って思うことだ。
これが、初期設定クリアの鍵でした。

恐れを手放すレッスンを何度も何度もしています。
揺るがないまでするんだな。
隅々まで”恐れ”がなくなるまで。

もう、精密にして隅々まで、徹底的にやるんです。
それが人生の初期設定ってものなんです。
すっかりきっちり分かるまでやるんです。

初期設定を完全にクリアしたらしたで、生きている限り、レッスンはあるんだけど、
でも、次はきっとすっごく楽しくレッスンになる。っていうか、楽しめるようになる。

でね。この課題をクリアしたらば・・・
とてもとても楽しい毎日が待っていたのでした。
カウンセリングをお仕事にする日々が始まったのでした。

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カウンセリングをメインのお仕事にし始めて、
最初は落ち着かなくて、ドキドキ・ザワザワしてました。
クラクラもしてたかもしれないなぁ。

私は、新しい道を歩き出して、そして、次のレッスンしていました。
それは、自分が”純粋であること”を認めることでした。
自分のやり方、自分の感じ方、
これでいい、と自分が認めるレッスンでした。

今まで恥ずかしくて認めたくなかったのかもしれません。
だって、偽善的って思われるかも。
馬鹿じゃないのって思われるかも。
でも、今はそんなこと思われてもどうでもいい。

自分が誰かの心を少しでも軽くすることが出来ると、
本当に嬉しいんです。
純粋に嬉しいんです。
それに、そのことで多少の痛み苦しさしんどさがあっても、
ちっとも苦ではありません。
むしろ、このことに、仕事だからと正々堂々と
しっかり取り組めることが、本当に嬉しいんです。
ガイドにも毎日感謝しています。
この仕事をさせてくれて本当にありがとうって。

私はこれをずっとやりたかったんだって、
やってみてほんとうに分かった。
相談相手の方が、
心の重荷が取れて、楽になった。勇気が出た。
って、みんな目をウルウルさせて言ってくれる。
そうすると、一人一人を抱きしめたくなります。
そして、始めて良かったって心から思っている。

私は特に、自分と同じようなお母さんのために、
それからいつかお母さんになる人のために、
新しい世代の、感性豊かで素晴らしい子供たちのために。
ほっとさせてあげたい。癒してあげたい。
自信を持たせてあげたい。生きる勇気を持たせてあげたい。

前はこの「あげたい」なんて不遜じゃーって
思って、自分の中のこんな気持ちも抑えていました。

「癒したい人が一番癒されたい人なんだ」
ってずっと前に言われた言葉も、
悪い意味に捉えていたのですねー。
でも、全然悪い意味じゃないって、今は思う。

そうですとも。私によって癒された人を見て、
私はものすごく癒されている。
さらに私はもっともっと癒されたい。
それがなぜ悪いと思っていたんだろう・・・。
その批判を恐れていたのかもしれない。
でも、もうそれも関係ないって思えます。

癒すことで癒される。いいじゃないの。

それに、自分の純粋さを認められると、
人の純粋さも、また前よりも認められる。

それが自己満足でも全然かまわない。
っていうか、自分が満足するって大事なことだよね。

私と私に触れた人の心が
ほんわかピンクになって、
それで、ほんのちょっとでも世界は
前よりほんわかピンクになっているかもしれない。

そう想像すると、またなんだかとっても嬉しいのです。

自分のインナーをもっと深めるために
やっぱりちょうど同じように、
デトックス真っ最中の友人とシェアしあった。
自分たちのインナーチャイルドの確認をして、
それじゃ、夫たちはどうだろうね?って話になった。
彼らもちょうどデトックス極まっている感じだから。

話していて、たどりついたのは、友人の夫が一番”逆上”する時は、
彼女が感情極まって泣いたりする時なんだってところ。
何かあって泣いて取り乱す彼女を見ると、
慰めるとかではなくて、彼は感情をコントロールできず
怒りのあまり家具なんかを壊す勢いでたたいたりするんだって。
これが彼のインナーチャイルドだよね。

”彼”は子供の頃にお母さんが病気で入院したことがあって、
弟と二人兄弟で、中学生だった彼が家事をしていたことがあったとか。
その時、弟よりも彼の方が何も言わなかったけれど、
その時期ガクンと成績が落ちたとお義父さんから聞いたことがあったって、
友人が思い出して・・・・
そうだ!って彼女はもひとつ思い出した。
絶対涙を見せたことがない彼が彼女の前で唯一泣いたことがあったと。
お義母さんが再発して入院した時、なぜひどくなる前に対処しなかったかって
お義父さんに怒りながら、涙を浮かべてたんだって。
彼が泣いたのを見たのは、その時だけだって。

彼はお母さんが病気にかかってしまった時、
つらくてつらくて、泣きわめきたいくらい、悲しかったのに、
長男だからって我慢して泣きたくても泣けなかったんじゃないだろうか?
だから、泣いている妻を見るだけで、逆上してしまうのではない?
俺はつらい時に泣けなかったんだ!
って思いをしこりみたいに持っているんじゃない?
と話し合ったとたん、なんだか急に、
あ、解読できた!という気がして、
そうか!彼もつらかったね。かわいそうだったね。
って友人と私、二人で泣きながら、でも、
彼のインナーチャイルドをひとつ見つけられたね。
って、嬉しくて、泣きながら笑いあった。

それから、それじゃあ、うちのだんなは?
同じ式に当てはめてみようか?ってやってみた。

うちのだんなは、私にけっこう難しいことを要求する。
算数障害入っている私に、関数とか使う難しいソフト
使わせようとしたり、それなのに、詳しく丁寧に教えてくれない。
自分でさぐって勉強しなくちゃ身に付かないとか言って。
それは私の「出来ない」トラウマをとても刺激するから、
頭もぐるぐるなっちゃうし、行き詰るばっかりでつらくなってくる。
「もっと私が分かるように分かりやすく説明してよ」って、ちょっと怒りながら言うと、
「じゃあ、もう何もやらなくていい!」って”逆上”して怒り出す。
うちの夫婦喧嘩のよくあるパターンでした。

今までは説明することが苦手だから嫌なのか?って思っていたんだけど
友人が「もしかして自分が分かるように教えてもらえなかったからかな?」
と言って、それで思い出した。

夫は小さい頃、両親は畑で忙しくて、
彼の子守は、曾おばあちゃんがしていたという話。
そういえば・・・・この曾おばあちゃんは、
お父さんの最初の生みのお母さんを気に入らないからって
追い出してしまうほど、近所でも有名なきついお姑さん。
だから、おばあさんじゃなくて曾おばあさんが、
小さい頃彼を育てていたわけね。
この曾おばあさんにはお義母さんも苦労したって別の時に聞いた。
一世代どころか二世代も上のきつい曾おばあさんと
小さい男の子が二人きりで過ごしていたわけだよね。

今まで断片で教えてもらってた
夫の子供時代の情報が急に繋がった。

夫は、どちらかというとお利口さんな娘に、
(娘は子供の頃の私に比べたらとっても優秀)
この年齢には分からなくて出来なくて当然のことを
分かりやすく教えないで、無理にやるように言って、
当然分からないので、泣きだしてやりたくないというと、
怒り出している時があった。
私はそれでよく夫に怒っていたのだ。
泣かすまで怒ることはないじゃないかと。
それが今まで夫のインナーチャイルドだって思ってなかった・・・
でも、そうかこれが、自分が子供の頃されたことを
自分の子供にしているってやつなんだな。というのが、やっと分かった。

高い要求をノーヒントで出されて、
分からないと怒られるというのを。
彼の家系は頭の良い優秀な家系なんだけど、
だからこそ、子供の頃から優秀であることを求められて、
それは本当は、怒り出したいくらい、つらかった?って、初めて思った。

今、娘が何度かそれをやられて、私は娘をとても可哀想に思っていた。
その姿と、幼い頃の夫の姿が重なって、可哀想になって涙が出た。
とってもとってもつらかったにちがいない。
ほんとうは分かるように優しく丁寧に教えてもらいたかったんだね。
「分かるように教えてよ!」って俺こそ言いたかったんだって、
でも教えてもらったことがないから、教えられないって、
とっても怒っていたんだね。

息子を生んだ時、なぜか義母から
夫の赤ん坊の頃の写真が出てきたからって、私がその写真を預かった。
夫に渡そうとしたら、いらないって言われて、私がずっと持っていた。
それが急に思い出された。

その写真がなかったら、
いかつい夫のあどけない幼少期なんて想像できなかったかも。

今、私が夫のインナーチャイルドを解読するために、
あの時、渡されてずっと持っていた気がした。

学習障害で「分からない」が多くて、分からないことを責められると苦しくなる
インナーチャイルドを抱えていた私と、
優秀だったけど難しいことを要求されて「分からない」というと怒られたであろう夫。
「分からない」を中心に対をなして、インナーチャイルドが繋がっていたんだねぇ。

ちなみに友人のだんなは、友人の涙で怒り出すって話ですが、
彼女が涙を流すのは、彼が彼女の気持ちを無視した時で、
それは彼女のインナーチャイルドだったんだ。

夫婦のインナーチャイルドは対になっている。
うーん。深いですね。

 


一年の切り換え時、節分まじかに
最大級のデトックスしてました。
少し前から取り組んでいたんですが、
取り組んでいたからこそなんでしょうが、
出てきました。最後の大きいの。

自分への”否定”との戦い。
それは自分のエネルギーを奪う。
それは自分を苦しめ、挫く原因だと気付いて、
自己否定をなんとかしようと日々取り組んできた。
「私なんか」「私に出来るかな?」「失敗しないかな?」
「そして誰かに責められたりしない?」
怖くなって、無気力になって、何も出来なくなる。
そういう不安をどこかで抱えていた。

シフトチェンジの完成を迎えるにあたって
世の中も全体的に、デトックスしてたようです。
だから、私も、夜明け前だから一番暗いんだって
分かってはいたんですが・・・・
今回の毒吐きは苦しかったです。
苦しくてつらくて泣いちゃいました。
それでも、これは飲み込んだら楽になる薬なんだって
ぐっと飲み込んでみた。

この薬は、いよいよ空亡を前にして、
この頃極まっている夫は、
家に持ち込んで仕事していて、
ずっと家にいて、ずっと私に小言やら
プレッシャーを与え続けてきて、
まったく労いや優しさは見せてくれず、
責めてくるばっかりな二週間という時間でした。

いつもなら大したことないちょっとした嫌みも、
毎日毎日、何度も何度もされると、
さしもの気にしない私も、飽和点を超えて、
いたたまれない、我慢ならない感じになる。
空亡だからひどいんだって分かっても
もう耐えられない感じになってきた。
ついにはずっとだんながいる家には
帰りたくなくなって、図書館で仕事したりした。

自分が可哀想になって、涙が出た。
誰にも相談できない。
こういえばこんな風に答えてくれるって
シュミレーション出来ちゃって、しかもきっと、
そんな風に慰められてもなんともならないって分かる。
自分でなんとかしないといけないんだ。
誰も助けてくれないんだ。なんて、
自分で思って、余計に悲しくなったりして。

でも、これで、分かった。

誰も助けてくれない。私は大事にされてない。
私は愛されてない。私を支えてくれる人はいない。
これこそ、私のインナーチャイルドの叫びだった。
そうだった。私は子供の頃、確かにそう思っていた。

七歳の時、父は母と離婚して子供を自分が引き取った。
でも、生母と私を引き離しておきながら、
私には最初、まったくの他人である義理の母に
預けたっきり任せっきりにして、自分は出たっきり。
子供にしてみたら、実の両親二人に捨てられた気分だった。
戸惑い、不安で、心細い状態の七歳の私を、
かえりみてくれなかった。助けてはくれなかった。
義理の母との生活に慣れるまでの緊張した日々、
私は「誰も助けてくれない」と思っていた。

その後も、高校卒業後、父の会社が倒産したので、
進学を断念し、自力で会社を探し、
母や弟や私は、借金や生活費や学費のために働いているのに
仕事もしないで家で遊んでいる父に我慢ならず、
父とぶつかって、家を出て、一人で生きる道を選んだ。
その時も、心細くて助けて欲しい時、
父は頼りにならず、自分のことばかり言う人だった。

私はずっと父が許せず、
病気で長患し、亡くなった父を、どうしても
面倒見ることが出来ず、母と弟に任せっきりにし、
看取ることさえ出来なかった。

父とのインナーチャイルドをずっと抱えていたんだ。
それが分かったのでした。
だから、それを夫は体現し続けていたんだ。
今回の最大デトックスで、やっと気付けた。
これが私の一番大きな自分の中の毒だった。

ずっとずっと恨んできてたんだ。
その恨みの強さにびっくりした。
普段は気付けないんです。あまりに奥深くに沈めていて。
でも、自分を気遣って優しくしてくれない夫に、
同じような気持ちを重ねて持っていた。
それが毒になって、涙になって、やっと気付けた。
そうか。そうか。私の毒ってこれだったんだ。

誰も私を助けてくれない。
私を認めてくれない。私を否定する。
全部父とのインナーチャイルド。

気付けてよかった。解読出来て良かった。
気付きさえすれば、これで私は毒を出して、
苦しまないで済むようになる。

気付いた翌日から夫はまた会社で仕事するようになった。
なるほどー。まったく私のために、夫は役割を
担ってくれていたんだなぁ。

心はとても軽くなった。
デトックスしたんだなぁ私。
と、今回のことを、もぐもぐと消化していて、
更に更に気付きがありました。

私のインナーチャイルドは、夫のインナーチャイルドと
まったく違うようでいて、対をなしていました。
そのお話は、次回に致します。

一個上に階段上って、まず始まったのは、
実技レッスンでした。
学んできたスピリチュアルなことを、
現実に一個一個確認しながら反映させてゆく作業。

つくづくと、
現実とスピリチュアルは繋がっていて
魂と目の前に起こる事すべてが、映し鏡になっているんだなぁと、
毎日思い知らされています。

ステージ一個上ると、
ささいに、微妙に、考えや気持ちやスタンスが違ったりすると、
それがもろに現実に表れてきます。

ちょっと怒りを手放せずにいると、口の中じゅうに口内炎が出来たり、
それでいて、この場合は、自分の感情を優先するよりも
ぐっと堪えて、やるべきことを遂行する方が良い。
それが女性性ガイドの導きだと教えられて、納得すると治ったり。
”彼女”に従う方が自分のためだと知るレッスン。

そんな風に、
微調整してるみたいに、細かなレッスンをいくつもしている。

もともと、精神体のガイドと、肉体を持つ人間の間には、
物事に対する感覚が違うところがあって、
例えば、ガイドからすると、これ、ちょっと違うよって、
ちょいちょいと直しているに過ぎないことが、
現実には、事故やトラブル、病気として表れるものだから、
私たちはがーん!ってショックを受けてしまうことも多いのだけど、
これは、ガイドの合図なんだよなー。って分かっていれば、
現実を生きることは、それそのものがガイドとの会話のようなもの。
ガイドが不適当なら、神仏としてもいいのですが、

そんな風に、この頃は、メッセージのもらい方も変化していて、
生きていることそのものが、神仏・ガイドとの会話のような、
言葉ではなく、体で表現してるみたいな感じなんです。

リーディングを望まれると
(ガイドが前よりもストレートなお方なので・・)
これがまた以前よりもシビアで明確な言葉で、伝えられますが、
求めない限り、強いては言葉でなく、
日常では、圧倒的に”体現”レッスンしています。

まるで体育会系なのですーーー。

私ったら、
ハードな運動部にうっかり入部しちゃったみたいに
毎日スポ根でしごかれていまーす。

2007.09.25

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