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一年の切り換え時、節分まじかに
最大級のデトックスしてました。
少し前から取り組んでいたんですが、
取り組んでいたからこそなんでしょうが、
出てきました。最後の大きいの。
自分への”否定”との戦い。
それは自分のエネルギーを奪う。
それは自分を苦しめ、挫く原因だと気付いて、
自己否定をなんとかしようと日々取り組んできた。
「私なんか」「私に出来るかな?」「失敗しないかな?」
「そして誰かに責められたりしない?」
怖くなって、無気力になって、何も出来なくなる。
そういう不安をどこかで抱えていた。
シフトチェンジの完成を迎えるにあたって
世の中も全体的に、デトックスしてたようです。
だから、私も、夜明け前だから一番暗いんだって
分かってはいたんですが・・・・
今回の毒吐きは苦しかったです。
苦しくてつらくて泣いちゃいました。
それでも、これは飲み込んだら楽になる薬なんだって
ぐっと飲み込んでみた。
この薬は、いよいよ空亡を前にして、
この頃極まっている夫は、
家に持ち込んで仕事していて、
ずっと家にいて、ずっと私に小言やら
プレッシャーを与え続けてきて、
まったく労いや優しさは見せてくれず、
責めてくるばっかりな二週間という時間でした。
いつもなら大したことないちょっとした嫌みも、
毎日毎日、何度も何度もされると、
さしもの気にしない私も、飽和点を超えて、
いたたまれない、我慢ならない感じになる。
空亡だからひどいんだって分かっても
もう耐えられない感じになってきた。
ついにはずっとだんながいる家には
帰りたくなくなって、図書館で仕事したりした。
自分が可哀想になって、涙が出た。
誰にも相談できない。
こういえばこんな風に答えてくれるって
シュミレーション出来ちゃって、しかもきっと、
そんな風に慰められてもなんともならないって分かる。
自分でなんとかしないといけないんだ。
誰も助けてくれないんだ。なんて、
自分で思って、余計に悲しくなったりして。
でも、これで、分かった。
誰も助けてくれない。私は大事にされてない。
私は愛されてない。私を支えてくれる人はいない。
これこそ、私のインナーチャイルドの叫びだった。
そうだった。私は子供の頃、確かにそう思っていた。
七歳の時、父は母と離婚して子供を自分が引き取った。
でも、生母と私を引き離しておきながら、
私には最初、まったくの他人である義理の母に
預けたっきり任せっきりにして、自分は出たっきり。
子供にしてみたら、実の両親二人に捨てられた気分だった。
戸惑い、不安で、心細い状態の七歳の私を、
かえりみてくれなかった。助けてはくれなかった。
義理の母との生活に慣れるまでの緊張した日々、
私は「誰も助けてくれない」と思っていた。
その後も、高校卒業後、父の会社が倒産したので、
進学を断念し、自力で会社を探し、
母や弟や私は、借金や生活費や学費のために働いているのに
仕事もしないで家で遊んでいる父に我慢ならず、
父とぶつかって、家を出て、一人で生きる道を選んだ。
その時も、心細くて助けて欲しい時、
父は頼りにならず、自分のことばかり言う人だった。
私はずっと父が許せず、
病気で長患し、亡くなった父を、どうしても
面倒見ることが出来ず、母と弟に任せっきりにし、
看取ることさえ出来なかった。
父とのインナーチャイルドをずっと抱えていたんだ。
それが分かったのでした。
だから、それを夫は体現し続けていたんだ。
今回の最大デトックスで、やっと気付けた。
これが私の一番大きな自分の中の毒だった。
ずっとずっと恨んできてたんだ。
その恨みの強さにびっくりした。
普段は気付けないんです。あまりに奥深くに沈めていて。
でも、自分を気遣って優しくしてくれない夫に、
同じような気持ちを重ねて持っていた。
それが毒になって、涙になって、やっと気付けた。
そうか。そうか。私の毒ってこれだったんだ。
誰も私を助けてくれない。
私を認めてくれない。私を否定する。
全部父とのインナーチャイルド。
気付けてよかった。解読出来て良かった。
気付きさえすれば、これで私は毒を出して、
苦しまないで済むようになる。
気付いた翌日から夫はまた会社で仕事するようになった。
なるほどー。まったく私のために、夫は役割を
担ってくれていたんだなぁ。
心はとても軽くなった。
デトックスしたんだなぁ私。
と、今回のことを、もぐもぐと消化していて、
更に更に気付きがありました。
私のインナーチャイルドは、夫のインナーチャイルドと
まったく違うようでいて、対をなしていました。
そのお話は、次回に致します。