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「高い気持ちを持ち続けるのが難しいのだけど、どうしたらいいの?」と
友人からメールが入りました。
この人は最近、スピリチュアルの扉を開けたばかりの人です。
でも、もう長く精神世界を勉強して、生活に取り入れている人でも、
ちょっとしたことで、気持ちのバランスを崩してしまうことがありますよね。
今回は波動をあげることについて、お話しましょうねー。

なんて、実は難しいことじゃないと思うんです。

美しい風景、自然、それから音楽や絵など芸術に触れて、感動すればいいんです。
できるだけ、神さまが作られた波動の高いもの=自然の美しさがいいと思います。
海や森や空など。出来るだけ手の加えられていない自然なら、なお望ましい。
人の創ったものならば、無機質なものよりも、自然なもの。
音楽なら実際に目の前で鳴る音や声がいいし、
絵なら実際に描かれたものがいいと思う。

美しさ、清らかさ、柔らかさ、優しさを感じるものがいいです。

難しいことを考えると、分からなくなってしまいます。

ただ、より明るい方へ、暖かいほうへ、高い方へ。
気持ちを向ければいいんです。それだけです。
そうでない方を見てたら、波動はどんどん落ちてしまいます。
そうすると、気持ち悪いもの、暗いもの、寂しいものに囚われてしまいます。

それが、気持ち悪いものを見ないコツだと、私はNさんから教えてもらいました。

ラジオと一緒なんだって。周波数を変えればいいんだって。
悪霊や怨霊よりも、精霊や神仏を感じたければ、
チューニングを、変えればいいんです。
テレビと似ているともいえますね。
チャネリングなんて言葉は、まさにチャンネルから来ているんだものね。
より美しく、清らかで、暖かく、明るい、高みからの光にチャンネルを合わせて行きましょ。

ただ気持ちを切り換える。それだけのことなんです。
難しく理屈を考えてしまうと、出来ないかもしれない。

たとえば、嫌なことがあって、怒りや憎しみが湧き出すことがあっても、
人を羨ましく、妬む気持ちが湧いてしまっても、
(原因は解読済みで思い癖の場合ね。そうでない場合は原因を解読すること)
これは思い癖、囚われていてはいけないんだ。と決意して、
原因を確認したら、流してしまう。トイレにでもね。ジャーっと。
それから気分を切り換える。
美しいものに触れて、その世界に気持ちを誘われてしまってください。
心の中で思い描くだけでも効果があります。
庭に出て植物に触れるだけでもいいです。

波動が高い人というのは、心に美しい風景を持っている人です。
美しいものと繋がっている人です。

そういう人になると、その人がいるだけで、
職場の雰囲気が明るく変わる。家の中が居心地がいい。
その人と空気を分かち合いたくて、人が寄ってきます。
シンクロが頻発し、神さまからのギフトも増えます。

さ、波動をあげていきましょう!

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ある時、散歩しながら、神さまのお話に耳を傾けていました。
人は何度もくり返し生まれては死に、また生まれてくるというお話。
その時、道端にブルーレースという花が美しく咲いていました。
その花は、放射状にエネルギーを放っていました。
それがまた美しい愛のエネルギーなの。
人が花に癒されるのは、花が純粋な愛を放つ存在だからです。
あぁ、なんてきれいなんだろうと、思ったら、
神さまがこう言うのです。
「このようになるためにあなたは何度も生まれてくるんですよ。
花のように、どこにいようと、誰に見られるかということも関係なく、
どんな場所で、手折られようとも、周りの全ての存在に、
全身全霊で、愛を表現することです。」

人は何度も、生まれては生き、死んでは生まれて、人生を繰り返しています。
体は一回分しか持たないのだけどね、魂は死なないの。
でも、体を持ち、この世に生まれ、人と出会い、
苦しみ、悲しみ、耐えて、時には怒り、
時には優しさに触れ泣いて、愛されて笑い、
あらゆる経験をして、豊かに優しく強くなるのね。
そして花のように、無条件に愛を表現する存在になるんだね。

花、というか植物は、いつも神さまと繋がっている存在でもある。
だから、どんな情況でも悲嘆にくれたりしないんだそうです。
生きて役割を担い、愛を表現できれば、それだけで喜ぶ存在。
花みたいに抵抗しないってことじゃなくて、
岩をも裂いて芽吹いてくる。その強さの方を見てね。


そんな風になるために、この世という仕組みの中に、
何度も生まれて、生きることを学んでいる。

それにしたって、この世には、酷いことが満ちている、と思える。
でもね、こんな酷いことはないくらいの酷いことを受け止めると、
魂は、強く光り輝くの。

強く輝くために、一生懸命生きている私たちを、神さまは見守っている。
苦しいこと、悲しいことに出会っている時こそ、見守っていてくれてる。
多くの守護霊たちが、寄り添って、励ましてくれている。
ただ、そういう時って波長が違うので、感じられないんだけどね。
だけど、必ず、そばにいるから。

この世の仕組みに、カルマというものがあるけど、
これは悪いことをしたら罰を受ける、ということじゃないと思う。
理解の足りなかった分は、もう一回、追試受けてるのよ。
でもね、何度でも追試受けられるから、大丈夫。

私が前回お話した結婚で、一番つらかった時、
それとリンクする前世の記憶が蘇ってきた。
それは、南洋のどこか、戦争のさなか、
私は年端もいかない少女だった。
兵隊につかまり、大勢の兵隊たちの性のはけ口として、
粗末な小屋の中に幾日か分からないほど、軟禁されている。
どうしてこんなことが起こるのか?
虐げられる自分の姿はあまりにも、惨めで、哀れで、無力だった。
動けない体を動かして、なんとか隙をついて、脱走するが、
でも、ほどなく追われ、捕まり、その場で殺されてしまった。

そのビジョンが見え、生々しく感じるその少女の短い人生に、
しばらく受け止めかねて、吐き気を感じた。

前世を見る時、いつも”その時に関連している”前世を見る。

何が何だか分からないまま、虐げられ、自由も得ないまま死んでしまった。
その時に残った思いが、
人はこんな風に力づくで支配され、虐げられちゃいけない。
もっと尊厳がある。どんな人間にも。自由に生きたい。
という思い。

だから、今生で、あの体験が起こったんだって、理解した。

尊厳と人間らしさと自由を。
今度は死なないで、ちゃんと手にしなくちゃ。

それに気付き、私は、ちゃんと手に入れた。
私のカルマが昇華されたのでした。
だから、私は、もうあんな目には遭わない。

そして、花のような強い愛に、一歩近づいたわけです。

前回の日記をアップする前に、
また、キテレツなことを書いてしまった。
みんなにドン引きされたらどうしよー?と、ちょっと不安になったけど、
書きなさいと言われて書いたものだからなー。必要な人もあるのかもしれない。
と、思いきってアップしました。
みなさん、思いのほか受け入れてくださって、ほっとしました。
いや、引いた人もあったかも~。私もう”キテレツ人”扱い?それは最初から?
ん~…仕方ありません。それも受け止めなくてはいけませんかねー。
ぼやきはこのへんにして、今回の本題に入りましょう~。
今日もキテレツかもしれません。

ある時、気付いたのですが、
どうも、他の人には、空から降ってくるキラキラ光る、
光の粒子のようなものは見えないらしい。
見える人もあるらしいけど、多くの人ではないらしい。

人や木や動物やモノも、光を放っていたりしますが、
これは最近流行っているオーラのことじゃないかと思います。
光のベールのように見えます。みんな包まれてます。
私は光っているというのが分かるだけで、それで診断なんて出来ませんが。
確かにその時の調子で強弱があります。
メッセージを受けている時は、ことさら強い光を感じます。
これは私のというより、私の精霊の光が、重なるからでしょう。
目が覚めたばかりなども、強く瞬いています。
あちらの世界に行って帰ってきたばかりで、その余韻が残っているからでしょう。

そういえば、この降ってくる光はなんだろうと、ある時、精霊に尋ねると、
これは神さまの愛のエネルギーです。と精霊は答えた。
なるほど、と思った。
絶えず雨のように私たちに降り注ぐ光は、私たち自身が放つ光と溶け合う。
私たちに力を与えてくれているように。

またある時、この世に起こる悲しい出来事、空しい出来事を思い、
どうして神さまはそのままにしておかれるのだろうか?と問うと、
家を持たず、屋根の無いところで寝起きする人たちの姿が見えた。
そして、彼らの上にも、天上から光は溢れるほど降り注いでいた。
守護霊は彼らと供に、寄り添うように、時を過ごしている。
お見捨てになっているわけではないのだ。
神はどんな人にも、どんな時にも、惜しみなく愛を注いでいる。
共にすべてを味わっているのだ。
この世に絶望は、ないのだ。
と、私は、この時に学んだのです。

そういうわけで、
神さまは、いつも愛とともにそばにいるのだから、
気がねなく、思いきり、苦しんだり、泣いたり、喜んだり、笑ったり、
人生修行に励まなければね。

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