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先週のはじめ、入院した二人の親のことを考えていました。
ひとりひとりを順番に。

まず母のことです。
喘息が悪化して、無理して休まなかったために
入院することになったと聞きました。
「大人の喘息」はなぜ起こるのか?
スピリチュアル的は意味は、
「愛情に満ちていた頃にもどりたいから」です。
たいていは子供時代ですが、
母の場合は、たぶん、
父の生きていた頃なんだな、って
急に思い当たり、
私は父を失ってどれだけ母が寂しいのかを
思って涙を流しました。

父とのインナーチャイルドを癒したおかげで、
やっと素直に、父と母は本当に愛し合った
かけがえのない2人だったのだなと思いました。
前は、死んでもなお2人の愛の深さに、
子供が一番ではない二人の、
入り込む隙がないことに悲しんでいて、
見えなかったのです。
その相手を見送った母の深い悲しみに。
 私ははじめて母にヒーリングを送りました。

それから、義父のこと。
父にとっては今回の事故は、自分を罰したいと
思っている表れでした。
義父はほんとうに気に病んでいるのだな。
自分が働き盛りに病気で働けなかったことを。
今回は老体を鞭打って頑張ろうとして起こったことでした。
働けなかったことを、だれよりも自分を許してなくて、
責めているのだなぁと思うと、可哀想に思えました。

それで、右足を折っちゃうなんて。
右は、実行することを表し、社会性、対外面、仕事につい
てを表すわけです。それは、いつも義父がコンプレックスを
持ち、気に病んでいる部分。
だからこそ、また右足に支障が出てしまいました。
もう、完全回復は見込まれないそうです。

でもね。ほんとうはね。義父がするべきなのは、
仕事や作業なんかじゃないんです。
もともと感性を生かして芸術したらいい星の人。
実際に、主人も認める三線の名手なのに、
働けるようになった50過ぎに仕事を始めてから、
めったに弾かなくなってしまったのです。
最近ではまったく弾いてくれなくなって、
私たち家族はなんとかしないと想いながら、
手をこまねいていたのでした。

主人は、このままでは義父の音楽を引き継げない
のではないかと焦っていました。
今引き継がないと、昔の味のある島の音楽が再現
できないと。

私たちは義父の音楽は、この島で最高のものだって
想っていますから。
音楽で生きるなんて、昔の人は蔑まれることだったから、
才能があるのに、趣味でとどめて、そのうち仕事ばかりで、
まったくしなくなった。
だから、いろんな問題が起きたんだな。
仕事は上手く行かないことが続き。お金を投資するだけで、
成功したことがないそうです。
病気や怪我もしょっちゅうです。 自分が生きる道を認めて
受け入れて生きていないからなんだなぁと
その人の生きる道とを受け入れないと、こうなるんだなぁと
見せてもらいました。

母もです。父とのことをもう手放して、弟と向き合うこと、
弟を認めて、愛情表現してくれると、
母も、ずっと愛情を求めている弟も救われるのに。

それをしないから、喘息でちゃうんだろうなぁ。と思います。
自分の設定・課題を受け入れないと、
晩年で大変なことになっちゃうのですね。
今からこつこつ、自分と向き合って起きましょう。

さてそして、ここまで頑固な義父に、
どうしたら、音楽をさせるか?
それが私たちの大事な課題になりました。
それから、やっぱり頑固な母への遠隔ヒーリング。
でもまぁ、これもきっと、読み解いて、癒していくだけ、
本当のところは、それだけ。

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繋がりました。と書いたら、
今度はさっそく新たな展開に入りました。

んー。チェンジ後は待ったなしで展開速いです。

あー、繋がったぞーと思ったら、

まず、電話があり、実家の母が倒れて入院したと分かり、
とりあえず一週間くらいで退院できるそうですが、
持病の喘息が疲労で悪化したそうです。
遠くてすぐには帰れない私は、弟に託し祈るしかありませんでした。

そして、翌日には、
舅が事故で入院しました。
うちの家族は突然、新たな展開を迎え動揺しました。

ひとまず命の別状はないけれど、
足の骨を折る重傷で、救急車で運ばれました。

彼がなぜそのような事故に遭う事になったか?
はまた別の話にします。

さて、それですでに
バァバが親戚のおばさんのめんどうも見ています。
さらにジイジが入院とは・・・
家族はこれから大変なことになるのだろうか?
と、不安な気持が出てきました。

どきどきしながら、
そうだ!と思い、自分のスピリットに、
うちはこれからどうなるのだろうか?と聞いてみたら、

スピリットの答えはこうでした。

さぁ、今どう思うかが、
これから大変にするのか?
かえって、乗り越えて良い方向へ風が吹くのか?
その流れを決めるのだ、あなたはどうする?

と。
もちろん即答で、それは良い方向に!
と答えました。

それから不安は手放し、
すべては何もかも良き方へ行く!
とイメージングして寝ましたが、

なるほどー。分れ道の分岐点は
こういう時か!と納得しながら。

ここで、不安に取り込まれ、
心配のあまりふさぎ込んだり、
負担が増えるのでは?と警戒したり、
自分が苦しむ未来をイメージングしたりしては、
もうそれを現実として反映させてしまいます。
現実に反映し、家の中が大変なことになって、
負担が増えて、くたくたになってしまうでしょう。

そして実際にその晩、家族で話し合いをし、
家族で手分けして役割を確認しました。

といっても、ジイジの世話はバァバがするし、
病院までは無料バスが出ているし、
ただ他の人は留守がちになることが増えるから、
私は家のこと、子供のことをするから、
留守番をしなさい、ということで。

うーん。よく考えたら、今までと同じ。
数日は近所や親戚からの対応に追われはするものの。
それが済むと、かえってPCする時間は確保されたし、
昼間ひとりになって、集中できたりして。

何より家族は協力してまとまった気もするし、
主人は前よりも家にいてくれるし、
バァバとも話し合いが出来て、
私も急に、今まで不慣れで分からなくて要領を得てなかったことが、
ちょっとだけ要領を得て、いろいろ考えて、動けるようになりました。
これも繋がったからだろうなと思います。
私はとても顕著なので。

この機に、バァバの負担が増えないように、
ヒーリングしないといけません。
それから、事故を起こしてしまったジィジの
ヒーリングも。
ヒーリングのチャンスでもあるのです。
ここ!という場所が分かりやすくなったから。

ピンチをチャンスに変えるのは、
自分の意思ひとつ、ということですね。

事故のあったことで、
ジイジのインナーや、実家の母のインナーが
突然ひらめいて、分かりました。
それ以外にも、姑や夫の隠れていたインナーも見え隠れし、
なるほどーと思う濃い数日でした。

今回分かったインナーについては、
また新たにまとめたいと思います。

私の役目のひとつに、自分のことをシェアすることで
みなさんに目に見えない世界のことを知ってもらう
というものがある、と以前にスピリットに言われています。

誰かに話したり、ここで書いたりすると、
それは完了して、先に進む。
私は先導の係、先触れで、私が終わった頃に
他の方が始まったりすることも多いのです。
お知らせするためにそのような
タイムラグがあるのですね。きっと。

そういうお役目があるのに、
それをしないでいると物事はまったく進展しないのです。
今回のオフラインになってしまった件も、
はやく書けるようにならないかなぁと思ってました。

これも自分の中である程度の学びが進んで
シェアできるようにならないと文章としてまとまりません。
学びが進むと、書き始めるだけですらすらと書けるのですが。
今回もやっと書くことができて、
ほっとしていたら、
やっぱり思ったとおり、それまで繋がりが細くて
オフラインだったスピリットとのパイプが
急にオンラインになりました。
やっと繋がったんです。

頭の中は一向に整理されずぐるぐるで
インスピレーションが湧かず、先が見えない感じが、
急にいろいろなことが鮮明になってきて、
インスピレーションのアメアラレです。

たくさんのインスピレーションの中から
すぐに出来ることはやって、
今までも言われていてしないでいたいくつかのことも
再びやってきたので、それをやってなかったから、
いろいろ滞ってたなぁと反省もしました。

インスピレーションこそ、オンラインの証。
無駄におろそかにしないでやらないと!

再接続したとたん、また次の学びが始まりました。
書いたら、繋がるんです。いつも。


あとりえ和の花のアートヒーリングで
子供の頃のように自由に絵を描いて、
インナーチャイルドをいやしませんか?
詳しくはこちら
http://wanoca.iinaa.net/lesson2.html



 

ただ今主人の実家に仮住まいとして身を寄せておりますが、
住まいについては、主人の倉庫兼事務所を建設しているので、
そこが出来て落ち着いてからの話になると思っていました。
だいぶ暫く、ひょっとしたら何年も実家に居候する予定でした。
舅、姑も喜んでくれていたのですが、
それもつかの間・・・・・

一ヶ月も経つと、お互いに疲れが出始め、
姑とのことは、ワークとヒーリングの成果で
仲良くしていたのですが・・・・

主人と舅が、似たもの同士の頑固者同士で、
一緒に倉庫の土台を作っている段階で、
ぶつかる。ぶつかる。
そうじゃないかと思ってましたが、
予想以上に息が合いません。

とうとう大喧嘩して主人なんか怒鳴りだすしまつ。
それを聞いていた息子が中耳炎になってしまいました。
(親が夫婦喧嘩が多いとか、もめていると、
聞きたくないので子供は中耳炎になります)


この最中、まさに、
あぁ、チェンジしたら、デトックスも激しいなぁと思っていました。

間に入っているのは主に姑で、
両方から文句を聞かされ、ぐったりしていて、
とうとう、
もう嫌、あんたたち出て行ったら?
どこどこさんちも最初は一緒に住んでたけど、
父と息子が合わないから別居して、今は上手くいっているし、
そのほうがいいかも。
という話になりました。

私は私で子供たちがいつまでも家で落ち着かなくて、
以前よりも荒れている感じがする様子を見て、
これは私も、一生懸命ヒーリングしていても、
癒しきれないものが自分の中にも溜まっているなぁと
子供たちを見て、自覚しました。
子供はいつも鏡をしてくれる有難い存在です。
受け入れることを嫌がっているんです。
これ以上は合わせられない、と言っているよう。

出て行ったらとまで言われて、気付いたことがありました。
ほっとしてるし、というか、喜んでいる私。
やっぱり人の家では窮屈で
いろいろ我慢し続けで、もう嫌なのは私も同じだったかな。

さて、そんなわけで、出ていく場所をどこにするか?
のんびり構えて後回しにしていて、考えていなかった。
というか、仕事場建設が先で、家はお金をまた作ってから、
なんて考えていたので、当分先だろうなと思っていたわけです。

ですが、これは早く出て行ったほうが良さそう。
どのみち同じ部落、まさにスープの冷めない距離ですから。
結局一番良い方向へ、行くようにいつもなっているのだな。
なんて、思うのでした。

やっぱりデトックスは新しい学びの前に起こるのですね。
あそこで揉めていなければ、そういう話にはならないのですから。

とはいえ、すぐには物理的な問題で、やっぱりどうともならないのですが、
思ったよりも早くしたほうが良い、と分かりました。
そのために、自分たちで家を持つイメージングをもうもっと鮮明に始めなさい。
ということのようです。

新しい取り組みがまたひとつ始まりました。
どこに住もうか?どんな家に住もうか?
いろいろ考えを巡らせているこの頃です。

また奇跡が起こるのかも。
今度は素敵な自分らしい住まいを手に入れるぞー。

2008年は大きな切替わりの年でした。
切替わりの前には、デトックスが必要なので、
たくさんのデトックスワークに取り組みました。
それもすべて、自然の流れで、ガイドの采配で行われていました。
一年の切替わりの節分のぎりぎりまで、
とことん徹底的にワークがやってきました。

最後の最後に、ずっと残っていた父とのワークを終えて、
父と似ている自分を自分でいかに嫌っていたかを知り、
自分と父を、そのままで受け入れるということができました。
それが終ると、副鼻腔炎も治り、
なんだか肩の荷が下りたように楽になっていました。

その日の夜、祝宴の夢を見ました。
大規模なイベントのような大勢の人が
喜んで楽しんでいるセレモニーが始まるよー。
という夢でした。

そして、ご褒美の祝宴が待っていました。

ちょうど予定していた
友人たちと企画していた『petit souk』が、
隠れ家ギャラリー「えん」さんで始まりました。

セレクトモロッコ雑貨と和生地で作ったオリジナルのバブーシュ「わブーシュ」、
書アートやワイヤーアート、手描きの手ぬぐいや、とんぼ玉のストラップや、
カレン族シルバーアクセサリーと、私の天使の絵と手縫い雑貨などなど。
盛りだくさんで、小さな蚤の市ができました。
搬入が終ると、夢のように楽しい光景でした。


オープニングの日は、祝宴のように楽しい日でした。
設置が終ると、友人たちとえんさんのランチを食べて、
午後は私のスピリチュアルレッスンを友人たちが受けてくれたので、
魂について、前世についてなどの私の経験についてのお話と、
その後、アートヒーリングをさせていただきました。

友人たちとのスピリチュアルレッスンはとても楽しいものでした。

翌日は、友人の一人が大分から来たこともあり
もうひとりの友人と3人で常滑へプチ旅しました。
創作をするものにとっては、心躍る素敵な旅でした。

本当に楽しい楽しいご褒美の祝宴でした。

がんばって乗り越えると
もれなくご褒美がもらえるものですねー。

みなさんも節分明け、ご褒美はもらえましたか?
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