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一方で、実は、
最後のダメ出しが来ているような出来事が頻発しています。
私もなんだか重なってくる雑事でとても忙しくて、
疲労困憊していて、余裕もないです。
あるいは、なんだか体がしんどくて動けない人もあるかも。
眠くて眠くて仕方ない人もいると思います。
これは調整のエネルギーが来ているからです。
ガイドと打ち合わせの必要があって、
呼ばれているんですねぇ。夢の中に。
私たちは寝ながら、ガイドと打ち合わせしてますから。
全部が全部ダメだしだったり、しんどいんじゃなくて、
楽しいこと、心踊る出会いや、
新しい出会いじゃなくても、新事実発覚とか、
新しい動きが織り交ざっていると思いますが、
全体的になんだかしんどいことが多いこの頃じゃないですか?
これで、新しい素晴らしい時代が来ている?
まったく逆に悪くなっているのでは?と
不安になっている人も多いのではないかと思います。
でも、シフトチェンジは起こったんです。
始まったんです。
だからこそ、今の状態になっているんです。
一旦絶たれた繋がりは未だ構築の調整中なので、
今は周りとしっかりとした繋がりを感じられず、
だから、とても心もとないのです。
ひょっとすると、
総まとめレッスンの最後の方の学びで最後に残してきた、
自分にとって一番”嫌な”出来事を
味わう体験をしている人もいるかもしれません。
私もちょっとやってました。
一番痛かったり、嫌だったりすることなんで、
トラウマで上手く対処出来なくて、ヘタっているかもしれないね。
そんなこんなで、混乱と、疲労と、不安が取り巻いているかもしれません。
逆切れして、今まで来た道と反対方向へ、
思い切り逃げたい気持ちがしている人もいるかもしれません。
実際、ちょっと切れちゃった人もいるみたいです。
そのくらいの厳しい状況が今、取り巻いています。
今の状況が伝えてきているのは何でしょう?
自己否定の感情と向き合っている人が多いでしょう。
でも、思い出してください。学んできたはずです。
自分を否定して良いことなんかいっこもないのです。
それは自分を苦しめるだけの、手放した方がいい感情です。
不要なものです。
社会通念とか、常識とか、周りからの雑音は気にしないで、
私たちは強く、しぶとく、したたかに、自分を肯定するんです。
今、そういうレッスンしています。
自己否定が強い人ほど、とても顕著に反映して、
苦しい状況になっているみたいです。
ただ、自分を否定するんじゃなくて、肯定するレッスンなんだと気付いて、
前を向いていてください。
前を向いているだけで、それだけで、今はいいですから。
現状維持だけでも、大変かもしれないけど。
とにかく、後ろ向きにならないように、ぐっと堪えて。
水面下では、しっかりとした、新しい建設的な動きが
確かに始まっているのです。
新しい繋がりが生まれ始めています。
あなたはひとりじゃないと、理解し始めています。
それは、確実に顕著に、これから、現実に反映され、変わり始めます。
もう変わり始めています。まだ、本格的に始動してないだけ。
だから、今は、こういう時なのです。
夜明け前は一番暗いの、思い出してね。
今回は、今とてもつらい状況に陥っている人たちへのメッセージでした。
私のところへは似たようなつらい状況のお知らせがいっぱい来ています。
それはまたみんな繋がっているという証だとも言えます。
ひとりじゃないです。
みんな確実に繋がっています。
新しいコネクションは確実に生まれ始めている。
それも、感じ始めているでしょう?
ほんのちょっと気付いて、見かたを変えるだけで、
ぐらぐらしないで、バランスを取れるはずです。
一日一日の密度が濃くなっているので、
時間の進みが速くなっているみたいです。
あっという間に一日が終わり、
あっという間に一週間終わり、もう6月です。
私にとっては待ちに待った6月かもしれません。
この月になれば、ほんとうの終わりと始まりが来ると思っていたからです。
実際そういうような成り行きになりそうな気配です。
5月の最後の2週間くらいは、
見ようによっては、進んでいるというよりも、
ひどくなっている?と思えるような感じになっていました。
解毒期間がまだまだ続いていて、
それは、まるで、テキストの最後のページの総まとめレッスンのように
今までやってきて、とうにクリアしたはずの問題までも起こりました。
毒を出すために、感じやすくなっていたこともありましたし、
けっこうな量がまとまってきていたので、
混乱を感じていたかもしれません。ストレスを感じていたかもしれません。
身体で受けるエネルギーもひどいものがありました。
いろいろなネガティブな感情を引き出す出来事が重なって、
疲れてしまって、後ろ向きになり、動きたくなくなることもありました。
忘れていた昔の繋がりが、この機会にでてきて、
終わったはずのレッスンをもう一度確認するということもありました。
いまだにずっと同じレッスンをしている人たちに、
もう一度巻き込まれそうな感覚に一瞬襲われて、
そうだ。これは総まとめだから、やってきているのだと思い出して、
手放す作業をさっさとしました。
自分自身についても、また見つめなおして確認するという作業も行いました。
例えば、私は人よりもエネルギーが4倍くらいあるので、
そういう人が省エネして楽をしようとすると、
エネルギーが持て余って、かえってよくありません。
余分なトラブルやアクシデントが起きて、エネルギーを消費させようという作用が
起こってしまって、かえって、少エネするつもりが浪費して
ぐったり疲れることになります。
自分が本来するべき役目に向かって、エネルギーを注ぐことが、
結局、一番スムーズに廻るのです。
そんなことをずっと前に確認したはずなのに、
忘れていて、怠けようとして、もう一度それを確認していました。
それぞれ自分のエネルギーに合わせて生きなくてはいけないのですね。
エネルギーの小さい人が無理してはいけませんし、
エネルギーの大きい人が力の出し惜しみをしていても、良くないのです。
みんなそれぞれ、人に合わせて、でなく、自分に合わせて、
自分らしく生きなくてはいけない作用が強まっています。
友人たちや出会う人と話しをしてみると、
総まとめレッスンでの問題がちょっと大変なので、
人によっては、鬱症状に似た状態になっていたり、
パニック症状が出ていた人もいたようでした。
それだけ、ちょっときつい感じでした。
ハードな学年末試験みたいな感じでしたかねー。
問題があまりにたくさんあるので、読むだけで疲れてしまう感じでしたが、
ひとつひとつ時間をかけて取り組む必要はないようです。
これは確認なんだって気付けばそれでいいのです。
問題を読んでいる最中に、これはこういう答えだったよね。
と連想できるものもあって、本当に確認するだけで良いのでした。
確認できたらば、それで手放してください。
手放すことの必要をとても感じる時でもありました。
手放さないでいると、苦しいことになっていたでしょう。
そんな風に、総まとめでどっと問題に取り組んでいたら、
感情のすべてをさらけ出してしまって、
裸であるような無防備になったような気分になりました。
でも、これも、ありのままの自分でいいと認める
最終レッスンのようです。
いよいよ新しい学びの始まり。
6月が始まります。
前回、母と解凍ワークしたことをお話ししましたが、
それによって、いろんなことに気付き、
自分のところに持って帰って、母と弟のことを振り返り、
それが、一緒の家庭で育ってきた自分のワークにもなりました。
母が叔母達との確執を涙ながらに話してくれて、
そのおかげで気付いたことがありました。
仲違いの相手は、母の二番目のお姉さんと、お兄さんのお嫁さんの二人。
実はこの二人のおばさんは、
「要領が悪くて、言葉で上手く表現ができない」タイプです。
お姉さんの方は、ひとりだけ子供の頃に養女に出されている。
母も養女にと望まれたが、母は小さいからと身体が弱いからということで、
手元に残すことにし、養女の話を断ったそうです。
物質面での苦労は母の方がしたかもしれない、世間にも揉まれたかも、
でも、裕福な家に育てられたけど、一人だけ家を出されたことは、
経済的な苦労よりも、心に残るのではないかと思った。
姉妹の仲で末っ子で、一番可愛がられた母に対して、
態度が冷たいのは、分る気がする。
もうひとりの長男のお嫁さんは後妻なのですが、
先妻の子である従姉弟たちは母親のように、うちの母を慕っていて、
何かというとうちに遊びに来ていた。
叔母は先妻の子供たちとうまくいってなかった。上手に表現できない人なのでした。
叔父さんは一番末の妹の母をとても気に掛けていて、可愛がっていた。
はきはきと物怖じせずに話し、世間知があり要領よく賢い母を一目置いていた。
同じように後妻で結婚した母は、子供たちと仲良くしているので、
無口で何も言い返さないお嫁さんだったけど、責められているように思ったかもしれない。
叔父が亡くなった時に、叔母さんから一方的に縁を切ると言われたと
母は涙ぐみながら怒っていた。
「そんなこと言われるようなことはしていない」と。
確かに理屈に合わないことは、母はしていないだろうなーと思う。
要領が悪くて、気が利かない二人の叔母と、
母は、あういう人なのだから、と思って立ててきたというのだけど、
不器用な弟には、叔母さんたちのようになってはいけないと思って
注意してきたのに、直らなかった。育て方が悪かったのかなんて
言っている。
この言葉を聞いて、なるほど!そうだったか!と腑に落ちたのです。
ここが母の課題だったんだなーと。
要領が悪くて不器用な、気の利かない人たちを、
母は認めることができないのだなぁと思った。
認めているようで認めてない。面とは向かって責めてはいないけど、
無言の圧力というか、言わなくても態度で否定をしてきたのかも。
長年の否定を黙って感じてきた叔母さんたちがここに来て、
爆発したのかもしれない。
ずっと、何十年も何も言わない人たちだったみたいですが。
言葉で表現することがとても不得手だったので。
だけど、やっぱり黙っていられない作用がここでも働いたのね。
母は面倒見がよく、人にとても慕われる。
性格も明るくて、要領が良くて、賢くて、
いつも正しくて、特別に愛されることが多い。
でも、ここが欠けていたんだなー。
だから、あの弟なのか、と合点がいった。
弟は、不器用で要領が悪く、言葉で表現することが不得手で、
ぶっきらぼうで無頓着に思われて誤解される。
ほんとうは繊細で、優しくて、とても我慢強い。
ただ、自己否定がとても強いので、
自分さえ我慢すればいいと思うようなところがある。
今でも大工になったんだけど超不器用で、真面目で欠勤しないのが取り得で、
こんな自分をやとってくれるところがあるだけで有難いと思っているらしい。
母はこんな弟を歯痒く心配に思っています。
でも、それは弟にはちょっと否定されている感じがしてるかも。
しっかりできない、要領よくできないことを責められているように
感じているんだろうなぁと思った。
自己否定を何とかするのが弟の課題だから、
母はまさに打ってつけの鏡なわけなのね。
私は今回、母と弟のことで、もうひとつ気付いたのです。
私は健康だったし、外へ目が向く気質だったから、
子供の頃から家にいるよりも、外へ気持ちが向いていて、
それに自分のことじゃないから、今までとりたてて思い出していなかったんだけど、
そういえば、弟は、母と出会った5歳の頃、
未熟児網膜症で目が悪いことを、母が観察して発見し、
遠い大学病院まで検査や治療に弟を連れて出かけていた。
それに弟はアトピーがあって、よく血だらけになっていた。、
まだ治療法もそんなに言われていない頃、
何が原因なのか母が探り当てて、食事制限をして、
がっついて飲み込んで食べる癖を直したりするのに、
私は隣で、子供だったのでなんだか大変だなーと見ていただけだったけど、
母と弟は食事時はいつも戦いながらしていた感じだった。
アレルゲンの入ったお菓子なんかを食べさせないように隠したりしてた。
そうして、何年後かに改善されたのでした。
思えば、自分が生んだ子供でもないのに、
母は弟を、ほんとうに必死になって育てたんだなぁと。
母親になった今、とてもよく分るのです。
私なんかよりも、母と弟はずっと向き合って、
濃密に関わりあってきたんだな。
ずっと一緒に暮らしているし。
父が亡くなった時、母には自分の実家に帰るという選択も有ったので、
弟に残りたいんだけどどうかと聞いたのだそうです。
弟は「一緒に暮らしたい」と言ったので、今も二人で助け合って暮らしてます。
これが母にはとても嬉しかったと言っていた。
もともとは血の繋がりはないわけだから。
弟は、ちゃんと分っているんだなぁと思った。
母と弟は、強い縁という繋がりで結ばれているんですね。
同じ親の姉弟でも、それぞれやはり役割というか、課題はちがうということを知りました。
それぞれに、いなくてはいけない場所というのがあるのですね。
それから、一緒に暮らしている相手というのは、
やっぱり、いつも一番の課題の相手なんだね。
母と弟が教えてくれました。
シフトチェンジ後はじめての里帰りは、やはり顕著でした。
チェンジの作用を受けているのですね。誰も彼も。
核心を出さずにはいられないということなんだなと思いました。
実は私と子供たちは、実家にいると、アレルギー性鼻炎が出て、
クシャミはとまらないわ、目は痒いわ、 3日くらいいると、
もう限界な感じで帰ってきます。
実家に居させてもらえない作用が こんな風にも働いているんだなーといつも感じています。
そういう初期設定の星を持っているんです。私は
逆に弟は墓守りの星というか、 跡継ぎの星なので、 実家から離れられない。
今回はそういう生まれながらの”家との縁”を改めて感じました。
私、故郷の町、大好きなんだけど、アレルギーでいられないなんて・・・・。
確かにうっかりすると、もどりたくなっちゃうから、
ここにいるべきでないと 言われているのですね。
行く度に確認しているのでした。
さて、今回は母の”核心”が明らかになりました。
私と母とは、一番しんどくて助けが欲しいときに、
お互いに家族なのに頼れないということに、今まで何回もなっているのです。
これも縁なのでしょうね。
そして母は「次々と試練が来て、自分が背負って乗り越える」という星を持ち、
私は「親に頼れない自力で道を切り開く」という星を持っている。
うちの父が亡くなる前、母は父の介護と
病院への支払いのために仕事もしてとても大変だった時、
実は私はちょうどDVから脱出しシェルターに入っている頃で、
裁判も抱え、精神と人生を立て直すのに必死で、かなり切迫していたので、
居場所を知られている実家には近寄ることもできなくなっていたのだけど、
それを、両親にはその時どうしても言えなかったのでした。
母は察していて私を責めなかったけれど、
やっぱり父のことをすべてを背負っていて、かなりしんどかったのよね。
今回初めて、そのことで、涙ながらに、
あの時は本当はすごくつらかった。歯を食いしばって頑張ったのよと話した。
母は普通よりも気丈でしっかりして賢い人で、
知り合う人からたいてい一目置かれるような人で、
家族以外に家族みたいに親身に助けてくれる人が大勢いたりする。
実際にたくさんの人を助けてきているので、母のように慕われている。
いつも娘のような人が周りにいっぱいいた。
それで、私も実家のことは、私が助けなくてもいいんじゃないか
というような気持ちがあった。私自身も血の繋がりはないわけだし。
もしかしたら、ひがみだったかもしれないなんて今は思う。
でも、本当は”娘”である私に助けてもらいたかったのよね。
それから私も子供を生むということになって、頼むべきか悩んだんだけれど、
良い機会と考えて、ここは”母”に助けてもらおうかと思って連絡したら、
そういう時は、ちょうど母も具合悪くて、これから入院するということになってました。
私は妊娠すると切迫早産になり、自宅安静からじきに入院して絶対安静になる。
それでお互いに、見舞いも出来なくなって、助けるどころではないのです。
次の出産の時も、その後、何ヶ月か入院した時も、
ちょうどいつも母の具合の悪い時期と重なって、
結局、実家に頼れず、主人の実家にいつも頼ることになっている。
それで私は主人の実家との絆がますます強まる結果となって、
ますます自分の実家とは縁遠くなってきたのでした。
これも、自分の実家よりも主人の実家と縁があるということかしらと
感じないではいられませんでした。
母は母で、入院していても、娘は見舞いにも来ないわけだから、
寂しいしつらかったのですね。入院するって心細いものね。
もともと持病があって慣れていたとしても。
お互いに大変な時がいつも重なって、自分のことで精一杯で何にもしてあげられなくて、
お互いに「してあげられなくて悪かった」引け目があって、
今まで生涯で一番、しんどくてつらかった時期の気持ちを、
冗談ぽく大変だったのよ~とは言っても、隠すようにその話題には触れませんでした。
それが初めて、今回の里帰りでは涙を流しながら、あの時は本当にしんどかった。
と打ち明けて話してくれたのでした。
私は私で、大変な時に「何もしてない」良心がちくちく痛んだけど、
やっぱりあの時もあの時も、自分のことで精一杯で、
それどころか、本当は助けてもらいたかったくらいなのに頼れなかった。
私も「一番大変な時に助けてもらえなかった」気持ちを奥底に持っていたんだな。
ってことも話を聞きながら、自分の気持ちも確認しました。
ここ、母と私、一緒なんだなーと思いました。
それから母はさらに姉妹(おばさんたち)との子供の頃からの確執とか、
インナーチャイルド的な話も初めて語ってくれました。
末っ子で人から愛された母は、それゆえに疎まれることもあったようです。
でも、上の姉妹は年が離れていて、母子家庭だったので一人だったことが多く、
子供時代は一人でいる時間が多く、とても寂しかったということも話してくれました。
母の話を聞けて良かったと思いました。これで少し母も楽になれたかもしれないなぁ。
実家から帰ってくる日の朝、夢を見ました。
昔住んでいた家の 大きな冷蔵庫の中から、
牛乳を探し出して、その頃の家族と飲みました。
フリーズしていた何かを、 成長のための栄養になる何かを
取り出して、自分の中に受け入れたようです。私。
私でなくて、母も同じだと思うのです。
それから、母がフリーズから解凍されたことで、
弟にも影響があるのだと思いました。
次回はそのお話をしたいと思います。
新しいレッスンはどうですか?皆さん。
レベルアップしてきて、アップアップ?
私、ちょっとそんな感じしてました。
どうも多くの人に共通のレッスンのようなので、
それぞれに合わせてだけど、テーマが共通っていうか。
なので、お話しましょう。
そのテーマは「自己不信」、
これの強化キャンペーンだったみたい。
シフトがチェンジしたので、
クラス替えのようなことが起こりました。
その結果、今まで同じクラスの人とクラスが分かれてしまったり、
新しいクラスメイトと出会ったりすることも起きていました。
なかには、クラスメイトが同じだけど、
教室や先生やレッスン内容がレベルアップしてちょっと雰囲気が変わった
という感じの人もいるかも。
さて、ここで最初に始まったレッスン。
”自分らしさ”を出すことを求められ、
そうした結果、なぜか違和感や拒否感などを示され、
それを感じると、
「私はどこかおかしいのかな?まちがってたかな?」
と自己否定、自己不信に陥ってしまうのです。
自己不信があるからこそ、
違和感や拒否感が起こるとも言うかも。
ともかくレッスンが始まったので、浮上してきたのです。
これは、”自己不信”を引き出され、
それに取り組むために起こったのです。
割合と根本的なことへの自己不信だったりして、
ストレートパンチくらったようなもので、
ちょっとフラフラきた人もいるかも。
自分を信じられない、疑ってしまう、
否定するって、こんなにグラグラくるのね。
こんなにしんどいのね。って確認させられました。
体に力が入らない。頭痛もする。やる気も起こらない。
誰よりも何よりも、自分が自分を信じられないって、つらい。
すごい作用がある。
だから、まずこのレッスンなんだ。って分った。
私はこのせいで、自己不信の元になる、
劣等感を刺激する人からの話を聞きたくないって、
思っていたらしく「中耳炎」になってしまいました。
痛みがたまらないので、病院行きました。
同時にそれだけでは治らないので、
待合室でガイドとコンタクト取って、原因を探りました。
自己不信が原因だとここでさらに確認し、
それの分析の手伝いをガイドにしてもらい、
それから家に帰って、ちょうどシンクロしていた仲間たちと
メールやらでシェアさせてもらって、
このテーマについて向き合いました。
シェアすることが、テキメンに効きます。
それで中耳炎は治癒しました。
そうそう。薬のおかげもあります。物理的な処理も一緒にね。
中耳炎は子供がなる疾患だから、
「もう子供っぽい感情ですよ」て意味も含まれてる。
手放す頃ですってことね。
劣等感とか持ってる頃じゃないって言われたわけね。
うひゃー。恥ずかしい~!「劣等感」なんて思春期のみたいー。
でも、確かに自分の中にあるのでした。
ガイドと話をしていて、
自分のガイドはひたすら自分だけを導きサポートするために、
すべてを行ってくれているんだ。ということを教えてもらった時、
なぜか、劣等感は消えてきました。
子供ってそういえば、
自分だけを誰よりも愛してくれる親の存在がないと
苦しくなるんだっけね。
兄弟と愛情受けてる認識に違いがあるだけでも、
とても苦しいものね。
誰でも、ガイドはあなただけを100%見つめて、
大事に思い、サポートしてるのです。
私たちが課題をクリアできると信じてくれている。
私たちの選択を前面的に認め、サポートしてくれる。
私が選んだことだから、という理由で。
全幅の信頼と愛情なのね。
私も私自身をまるごとそのまま全てを認め、
全幅の信頼と愛情を持てるまで、
このレッスンは続くのね。
先は長いのだー。なにしろ、テキストの1ページ目を開いたばかり。
でも、とりあえず、1ページ目クリアのようです。
すっきりしたという気持ちとともに、
停滞していた時間が動き始めました。