忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

以前「空の器のように感じる」話を書いたのだけど、
こないだ、何気に見直して、
そのお話がなくなっていることに気付きました。
ブログをまるごとお引越しするシステムを使ったんだけど、
そういうこともあるんですね。
他にもいくつか無くなってしまったみたい。
でも、まぁ、しょうがないですね。

何か意味があってなくなったんだからなぁと、
思ってたんだけど・・・・
このところまた”器”のお仕事が増えて、
やっぱり私って”器”だわってよく思う。

前回の「空の器」のお話は、確か、
空の器のように”何か”を器に注がれるだけで
私自身はからっぽのようだと感じていて、
自分に自信が持てなかったのだけど、
あるサイキックな彼から、内緒で遠見しに来たら、
私の姿は「虹色の光に縁取られたドア」で「中は空間だった」と言われ、
それいいなーって楽しくなったって話だったかな。
細部はもう覚えてないや。ごめんなさい。
とにかく器でもいいじゃん。って自分を受け入れたって話でしたね。

うん。受け入れたから、
自分が中身を注がれるまで何も解からないことや、
どういう意図でそうしているのか?と聞かれても
自分で意味が解からない時があっても、
空しくなったり、自信喪失したりはしないし、
私っておばかさんだなーって落ち込むこともなくなった。

おばかさんなのだ。えっへん。って威張っているこのごろ。
なんてゆうか、おばかさんだから、
疑いなくガイドとしっかり繋がっていられて、
任せて安心しているから、遠慮なく注いでもらって、
相手にそのまま委ねてしまえるのです。
苦かろうと酸っぱかろうと、
飲みにくいだろうなーなんて心配しない。
それが必要だから、
私のところに飲ませてとやってきて、
ガイドが注いだものはそんな味してるんだからね。って。

私はシェフじゃなくて、器だから、
味付けはシェフがしているわけだ。
とっても甘露なものだとしても、
それもシェフたちの仕業なんです。

自信がないのは、あんまり変わってない。
やっぱり、これで良かったかなー・・・
と、思って、何度も何度も考えたりする。
これはきっと余分な作業と時間で、
あんまり器として自分が言ったことを反芻する必要ないんだけど、
つい考える。
余計なこと言ってないかな?
いい足りないことあったかな?
読み間違えてないかな?・・・・。

でも、今日はガイドから
自信のなさから余分なこと考えないように、
自制心でコントロールしなさい。
気持ちを切り換えて、
次のことにさっさと集中するようにと、
そんな内容を、夢で指示されたので、

考えたくなっても、ぐっと自制心で、
切り換えることにするわ。

でも、ガイドからは、この頃、
完全なんてないんだって、よく言われる。
考えすぎて時間の無駄はよくないけど、
ちょっと位は自信がないままでいいらしい。
そのくらいでちょうどいいんだって。
自信過剰はもっといけないから。

バランスを取るレッスンもしていて、
そのバランスがかなり微調整なところに入っていて、
こっちはほんのちょっと右、
反対はちょっとだけ前へ・・・みたいに、
細かくスタンスの調整してます。
きっと上手に注いでもらうには、
器には器の立ち位置があるんだわね。

器のお仕事をもっとしたいと
素直に思えるようになったこの頃。
器に生まれて良かった。
生まれて初めて、
そんな風に思っているかもしれない。

私に注がれたものはけっこう苦いと思うんだけど、
お薬みたいに、効く事もあるみたいで、
人とガイドを繋ぐお役目が出来て、
本当に涙が出るほど、
嬉しい時があります。

器のお仕事させてもらって感謝してます。
ははは。
感謝できるなんて、成長したなー。私。

 

 

 

PR

私の言うエネルギーゲームのエネルギーというのは、
スピリチュアル的なエネルギーのことで、
石油とか電気とかそういうエネルギーじゃないの。

”魂というのは、エネルギーの塊なんだ”と、
私はガイドに教えてもらった。
体には魂というエネルギーが注入されて
動いていると言えば分かりやすい?
私たちの本質はエネルギーなんだそうです。
で、これは体という入れ物の中で
溢れるほどになったり、減ってしまったりする。
それが見えてオーラと呼ばれたりするのかも。

そのエネルギーの変動は、
感情がキーになっています。
傷付いて落ちこんで、悲しんだり、
苦しんだりすると、エネルギーは凹んで、
喜んだり、ワクワクしたり、
癒されたりすると、エネルギーは満たされる。

若い頃一度だけ受けた
「気付きのセミナー」で、学んだことは、
この世の多くの人は、「どっちが強い?どっちがえらい?」って
綱引きのように引っ張り合いのゲームを延々と
しているっていうことでした。

人に勝って人より優位に立つと、
優越感でエネルギーが増える。
人に負けて落ち込むと、
劣等感でエネルギーは減ってしまう。
まるで、勝った人が負けた人の
エネルギーを奪ったかのように、
エネルギーが移動しているかのようになる。
このエネルギーの奪い合いを、
エネルギーゲームと言っているんです。

それから、数年後に
出版されたスピリチュアルな本を読んだ。
更に詳しいエネルギーゲームについて書いてあった。

責めること、怒ること、支配することも、
暴力を使うことも、言葉を使うことも、
無視すること、拗ねること、
泣くこと、甘えること、依存することも、
相手からエネルギーを奪う手段なのだと知った。

そうか、あの行為も、この行為も
エネルギーゲームなんだなーて当てはめていくと、
一見、悪くないと思われる行為、
例えば自分の言うことが正しいことだと、
相手を正す行為も、ゲームの一種で、
相手を貶めてエネルギーを奪っているゲームなんだって分かった。

それを知ると、
張り合うとか、批難するとか、むやみに怒ることは、
簡単にやめることが出来る。

それでもエネルギーゲームにいつの間にか巻き込まれて、
ぐったりしてしまうことが多くて、
どうしたらいいんだろうと答えを探してきた。

簡単には完全な答えは見つからない。
やっぱり、他の課題を解いて学んだように、
ひとつひとつ学んで、クリアにしていくしかないのね。

これもヒントになることだったのだけど、
「エネルギーは奪うのと反対に分かち合いうこともできる。」
ということ。
音楽や芸術など人に感動を与えることや、
感動的な体験を共有すること、なんかがこれに当てはまる。
だから、みんな、そういうことが大好きなのね。
これはエネルギーの分かち合いだから。

それでは、与えればいいのかというと、
そうではないとこも学んだ。

例えば、ヒーリングはエネルギーを与えることだと
思っている人が行うと、自分のエネルギーを人に与えて、
自分がエネルギーを奪われてしまうことになって、疲れてしまう。
自分が病気になるとか、相手のネガエネルギーの影響を受けて、
ぐったりするとかね。
これもまた結局エネルギーゲームに
はまっていることなんだって分かった。

リーディングや占いなんかで、
相手に依存することも、させてしまうのも、
ゲームのひとつ。

それじゃ、生きるすべてがエネルギーゲームじゃあないか!
って、憤る人もいるかもしれない。
でも、そうじゃないの。
同じことをしていても、心の持ち方を変えるとゲームじゃなくなるの。
人から奪わず、自分も奪われず、同じことを行えるの。

ただこの”心持ちをかえる”というのが、簡単いかないのね。
今回本当にエネルギーゲームをやめようと
思って、エネルギーを奪われて疲れてしまう私が、
そうならないためにどうしたらいいのか
考えて、答えを求めて、そして気付いたこと。

自分を責めること。自分を許さないこと。
それがほんのちょっとでもあると、エネルギーは奪われるんだなってこと。
それが分かったら、
前から何度もガイドから言われていた言葉が思い出された。
「どんなに誰かに責められようと、
自分がそれを相手に許さなかったら、自分の尊厳は傷つけられない。」
自分が自分を責めることをやめれば、奪われるという
エネルギーゲームには参加しないで済むということね。

自分を責めることをやめさせるために、
私のような課題を持つ人は、
ゲームに強制参加させられちゃっているんだなと思った。

それとこれもガイドから教えてもらった。
「魂のエネルギーというのは、
ちゃんと宇宙とガイドとつながっていれば、
無限にいつでも補給できるもので、
人から奪うものでもなく、奪われたからと、
気に病むものでもないのです。
蛇口を捻ればいくらでも出てくる。
そういうものだからです。」

無限にいつも補給されるものなのに、
この世では多くの人が
有限で人から奪わねば補給されないと
思い込んでいて、奪い合っているんだね。

自分の一番の課題を確認して、思い出したんだ。
そうだった。若い頃に習ってたっけ。
「この世の人たちは不毛なエネルギーゲームばかりしてる」って。
分かったつもりで分かってなかったんだね。
私もおもいっきりしていたもんね。ずっと!

それから、もうひとつのヒントとして、
今回何度も何度もあちこちから、
学習障害や注意欠陥症候群や高機能自閉症の話題が
与えられて、考えさせられていました。
そのたび私もかなり障害に近いなぁ。
同じカテゴリーに入ってるなぁと確認させられた。

それについて考えていると、
昔前世の母の先生が言ってたこと
「これから生まれる子は感性が素晴らしい子たちばかりよ」
という言葉を思いだしてました。
それと繋がって、ちょっと前に知った
クリスタルチルドレンという言葉について。
クリスタルチルドレンの特徴は自分の特徴にけっこう当てはまる。
クリスタルな子は、今までのくくりで分けると自閉ぎみだそうです。
そういえば、私の描く絵は自閉きみだと言われたことがある。
私も自分に感心があることしか目に入らないタイプです。

それを思い出して、そのような話をしていたら、
保育士の友人が最近障害グレーゾーンな子が
とても増えたと教えてくれた。
それとよく聞くでしょ?
最近の人は昔の人に比べると、
辛抱強くない、ガッツがない、不器用だって言われる。
悪くばっかりとったらそうさ~。
感性が柔軟で創造性を持ち、クリスタルに近いからさ~。

そうかぁ。そういうことかーって分かった。
シフトチェンジしてるってそういうことなんだ。
スピリチュアルを学ぶ時代になるってそういうことなんだ。
人類はエネルギーゲームをやめるための課題に
みんなで取り組む段階に移行してるんだね。
だから、私と同じ課題を持つ人ばっかりなんだね!

ここに来る人にも多いと思うんだ。
出来ないって責められて、エネルギー取られて、
自分を責めて、エネルギーを失って、悪循環に陥ってない?
エネルギーゲームにはまってるんだね。

それこそがあなたの課題なんだよー。
そこをクリアしたら、にんじんは無くなるのよ。
というか、嫌いにならなくなるのかな。

私とエネルギーゲームの連鎖から出ようよ!
おとつい、夢や現実の中のメッセージから、
「人生の一番の課題にとりくまなくては、
生きていても生きているとは言えない」
とガイドに言われていました。
「ほかの課題じゃだめ、一番の課題をしなさいと。」

それが何かすぐにピンと来なくて、
このところずっと答えを探してた。
でも、霧の中にいるみたいに見えそうで見えない感じで、
すっきりしてなかった。
もうちょっとだと思うんだけど、まだ違う。
それは、探す方向を間違えていたからだったんだって、
今朝分かった。

ずっと仕事とか家族をなんとかすることかと思って、
なんとかしようと、いろいろ取り組んでいたんだけど、
ちがってたんだ。って分かった。

仕事や家族との課題は、つまり、にんじんでした。
課題に向かうために用意されたにんじんで、
本当の目的は…そこじゃなかった。
私はエネルギーを奪われてぐったりして
やりたいことが進まないのがどうにもしんどかった。
疲れたり忙しくてどうしても進めさせてもらえない。
上手く出来ないのは、疲れてしまうせいだから、
それをなんとかしないと、って思っていた。
でも、ここ考え違いでした。

これこそが絶対逃げては行けない人生最大の課題だったんだ~!
付録とか副産物じゃなくて!こっちが本体!課題そのもの!
このために全てが用意されてたんだ!ってピカッと分かった!
そうだった!一番の課題は、一番しんどいことのはず。
だから私は偏って器用不器用に生まれ、
それなのに、頭よくて有能でなんでも器用で
口悪くてうるさい亭主持って、亭主が最大の難敵なんだ。
これこそ一番の課題だからだ!
だんなが課題じゃない。
だんなは私のために存在してくれていたんだ。
そして、私がいろんなことが出来ないことも、
課題のために、そうなっていたんだ。

それとともに分かったこと。
出来ないことが問題なんじゃないんだ。
実は自分でも分かってない位根深いところで
出来ないことを気に病んでいて、
それを言われることで気付いてないくらいに
それが恒常的にへこんでいて、
誰かが自分のエネルギーを奪うことを許してたんだ。

つまり、人生の一番の課題は、
仕事でも、家族との関わりでもなく、
それは課題のための仕組みで、
本当の課題は、
エネルギーゲームをやめるっていうことだったんだね。

「ちゆぬ玉拾てぃ 貫ちゃい遊ば」
これは、沖縄の民謡の歌詞の一節で、
きれいな玉(貝か石か実かな?)を拾い集めては、
数珠のように糸で繋げて、子供が遊んでいる、と言うって唄ですが、
最近、この言葉がぴったりな感じの私です。

前に書いたフィルターについて考えていたら、
それじゃ、フィルターの向こう側はなんだろうか?と思い、
ずっとそのことについて考えていました。
それは確かに存在する、ということは
相変わらず感じているのです。
で、フィルターの向こう側の存在を認知したのだったら、
フィルターを使う必要はないのではないかと思ったのよね。
今はフィルターを使わないでいろいろ認知するレッスンしてます。

フィルターを使うことをやめた私に、
フィルターの向こう側の存在は、
精霊とか、守護霊とか、人のような形をとらないけど、
それでも、見えない力は私を導いてくれたり、
存在を感じさせてくれて、ヒーリングしてくれたり、
偶然の一致などでメッセージをくれたりする。

言葉が降ってくる自動書記のようなことや、
ビジョンを見るようなことは、
めっきりと少なくなり、
そのかわり、日常のあらゆる出来事や在り様で、
気付きのヒントが散りばめられていることが、
よく分かるようになった。
”ちゆぬ玉”集めているみたい。
あちらこちらに小さな玉が落ちているように、
気付きのヒントが日常に散りばめられている。

ふと見たニュース、子供が起こしたささいな出来事、
夫との何気ないやりとり、友人からのメール、
起きがけに見た鮮明な夢・・・・・。
ひとつひとつは、小さなヒントで、
それだけでは、はっきりと意味が分からないのだけど、
拾い集めて数珠つなぎになった時、
ものすごく分かりやすい
メッセージになっていることに気付く。

ひとつひとつは小さな玉だから、
見落とさないように、注意深くしているの。

そして、
このところ重ねて繋がるメッセージは、

今いるところに大事なものはすべてある。
過去や未来に探さなくてよい。
ということでした。
今、自分の周りにいる家族や友人との日常の交流や、
今、自分がいる家庭や地域の中に、
必要なものは揃っているのですよねぇ。
自分の成長、自己実現の材料も、なにもかも。
そして、今、私に必要なものは、今、私の周りにあるもの。
明日私に必要なものは、明日私の前に用意されている。

わざわざどこかに探しに行かなくても、
自分の身の回りに大事なことはちゃんとある。
実生活で自分の身の回りにいる人こそ、
ちゃんと向き合い丁寧に付き合うこと。
普通に何気なく起こっていることにこそ、
気を配って、心をこめて対処すること。

ちゆぬ玉集めは、そんなメッセージをくれました。

24  25  26  27  28  29  30  31  32  33  34 
ブログ内検索
カウンター
読み解きに役立つ本です!








【share】 する
クリックしてね

忍者ブログ [PR]