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このブログを書き始めてから、不思議なことが起こっています。
いえ、まあ、私はだいたい昔から不思議なんだけどね。
自分以外の周りの人が、どんどん不思議になっていくのよ。

ほんの4年くらい前までは、
私はひとりで感じていて、ほとんど誰にもシェアしてこなかった。
神仏からのメッセージ、シンクロシニティ、前世からの課題のこと。
自分以外の人の前世は、先生たちと別れてから、ほとんどみてなかった。
スピリットからメッセージをもらって伝えるということも。
カルマを受けたり、払ったりでそれどころじゃなかったし、
その後も、自分だけで黙々と人生を創ることに懸命だった。

子供が生まれてから知り合った友人が、
思いがけなく私の話を、理解のできる人だった。
絵を描く人だからか、精神を掘り下げることが出来る人で、
彼女が人生の窮地にたった時、
私は久しぶりに、自分以外の前世を見て、
ガイドスピリットからのメッセージを伝え、
自分の知っている真理を話した。

私の伝えたビジョンが、彼女が浮んだビジョンと重なったことで、
彼女の扉が開いたようだった。

彼女は、私の伝えたスピリチュアルな話に深い理解を示し、受け入れ、
見込んだとおりの持ち前のエネルギーの大きさで、
どんどんと魂を目覚めさせてゆき、
窮地をターニングポイントに変えていった。

ひとりが分かってくれたら、魂や神仏の話が共有できるようになって、
二人になったら、不思議も倍増していった。
彼女の伴侶も、彼女に感応して少し目覚めかけている。
見えることを秘密にしていた人だったことが分かって、
彼らの夫婦の有り様も変化した。

そして、このブログを書き出した頃、

ひとり目覚めたら、またひとり、
前からの友人も、永く固く閉ざされて苦しんで魂が、
蕾が開くように、解放され、目覚め始めた。

この彼女は、前には話しても沁みなかったスピリチュアルことも、
今度はするすると飲み込んでいった。
待っていた時が潮のように満ちてきたようだった。
滞っていた人生が動き出した。

最初に目覚めた友と、次に目覚めた友と、
二人の前世が繋がって、関わりがあることが分かり、
彼女たちの伴侶とも、私と、私の伴侶とも繋がっている。

彼女たちの前世が解かることで、私の前世もまた紐解かれる。
人が集まると、開く扉も増えてゆくのですね。

前世が解かるという事は、人生の意味を変える機会になるのだと、
目の前で変わってゆく彼女たちに教えてもらった。

このブログを書き進め、ここで親交する人たちも、
彼女たちと同じように、扉が開き始めてきたようですね。

それが私のお役目のようです。最近、精霊に言われました。
(最近になるまで分からなかったのか?ていうと、
まあ、抵抗していた、っていいますか。最近認めさせられた感じ)

こんな風にも顕著に現れるなんて、思ってもみなかったけれど、
不思議はどんどん集まって、
集まると相乗効果をもたらすようです。

私のもとには、そんな魂の仲間が集まってきているみたい。
ネットも、実生活も同じように。
なんだか忙しいし、エネルギーもどっと消耗するけど、
人が目覚めていくお手伝いが出来るのはとーっても嬉しいし、
そうすることで、私も気付きや目覚めが増えてきます。
新しい世界が広がってきている感じがします。

皆さんに、精霊に、神仏に、
心から感謝したいと思います。
新しい世界をありがとう。

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前世の母や夫よりも、自分に近い人とも、同じ時に出会っていました。
先生のお弟子さんで、あの時、先生よりも先に改札口から出てきたんです。
その人とは先生よりも一瞬前に会っていたということになります。
そして、ひと目見て懐かしいと感じた。やっと会えたって。
意味のないことって、ほんとうにないんだなあ。

年の頃は私よりも5つ位上だったので、お兄さんのような感じでした。
実は、ちょっと違ったんだけどね。
nobuくんと呼ばれる彼は、元は先生のお客さんの息子で、
お母さんに連れてこられて、先生の元に来たそうです。
その時、白血病で余命幾許もないという状態で、
先生はnobuくんに縁を感じるからと手元に引き取り、先生の側にいるうちに
nobuくんは奇跡的に回復し、それから弟子になったのだと聞いています。

nobuくんとは、すぐにはどんな縁なのかは分かりませんでした。

ある日、先生とNさんとみんなで瞑想をしていた時、
隣に座っていたのはnobuくんだった。
その時もまた私が昂揚して泣いていると、nobuくんが肩を抱いて手を握っていてくれた。
その時、不思議なことが起こった。
私たちは同じビジョンを見ていた。同じように宇宙を見て、同じことを感じていた。

瞑想から解けた時、「僕たち分け御霊だったね」とnobuくんが言った。
私たちを見ていた先生とNさんが”ワケミタマ”について説明してくれた。
それはひとつの魂がふたつに分かれたということ。
nobuくんと私は、元は同じ魂だった。私にも感じられた。
一卵性の双子のように、ひとつの魂から分かれた、もうひとりの自分。
「僕の方が弟だよ。おねえちゃん。」とnobuくんはふざけて言ったけど、
たしかに一瞬、私の方が先に生まれているみたいだ。

魂が分裂するなんてことを、この時初めて知った。
それはひとつの魂がもっともっと学びたいと願った結果だった。
もっと多くの体験を重ねたいと願った。私たちは。

そして、その体験を魂のもとの宇宙の光の中へ、神さまのもとへ持って帰る。
神さまはもっと豊かに光り輝く。体験が増えることで。
だから、同じ体験はひとつとしてない。
似ていることがあったとしても、まったく同じということはない。
魂の数だけ、ちがう体験があるってこと。
だから、私たちは誰一人同じじゃない。みんな違う。
みんな神さまに必要とされている。
みんな違う、でも、みんな等しく大事。

どこにいようと、どうなっていようと、私が本当にひとりじゃないと、
寂しくないと思えるようになったのは、
nobuくんに会ってからだった。
どこにいても離れていても、nobuくんの存在は私の救いになった。

ちなみに、nobuくんに恋愛感情とかはなかったなぁ。
だって、自分なんだもん。
兄弟のような感じに近いですね。

私はだれよりも自分に近い人と出会ったことで、
逆説的にもうひとつのことを知る。

どんなに憎んでいる人も、許せないと思う人も、
どれほど自分と遠いと感じる人も、
実は繋がっている。神さまを通して。

クリスチャンの言う、人はみな兄弟というのはそういうことなんだと思う。

ただ、これだけの多様な多くの人類が生まれているこの世界で、
出会えて、関われる人はとても限られている。
それも深く関わる人は、生まれる前に人生のプログラムを決める時に
修行をする相手として約束をした特別な人です。

共有する時間は一瞬のこともあれば、一生のこともある。
それは、どれだけその約束が果たされたかによるのです。

お話を少し前に、戻しますね。
前世の母の先生や、前世の夫や、分け御霊のNくんと出会い、
親交を深め、魂のこと、神仏のこと、カルマのことなどを、
先生たちと触れることで学んでいった私ですが、
今までの寂しさを思うと、先生たちと供にいたいと望むようになりました。

先生の弟子になって四柱推命をやろうかしら?とその勉強もしてみます。
先生たちの事務所があり、Nさんが住んでいる東京に住もうかしら?とか、
Nさんのようにヒーリングをもっと勉強しようかとか、
とにかく先生たちのお近くにいられるようにと、いろいろと思い巡らしていました。

それまでやっていた商業デザインの仕事にも、急に意欲がなくなって、
もっと、先生たちに近い生き方がしたいと思いました。
仕事をやめて、治療師の勉強をしてみたり、ヨガに打ち込んだり、
その頃はニューエイジと言われていたスピリチュアルなワークショップにも
いくつか参加して、親との関係を見つめなおしたり、
共通の興味を持つ新たな仲間を見つけたり、
シャーリー・マクレーンの本や、聖なる予言といった
山川紘矢さんが訳したいくつかのニューエイジの本も読みました。
自分でも小さなワークショップを開いてみたりもしました。

そんな風に学んでいけばいくほど、分かってくることがあります。

先生たちといると、私は一番末の子のように、
甘え、安心して、認めてもらいたい、愛されたいという気持ちでいっぱいになる。
先生たちは、私を認め、愛してくれるけれど、私の欲求はきりがない。
それに気付くと、居心地が悪くなってくる。
本当のところ、そこは私の居場所ではないのです。
正確に言うと、私が今生に生まれてきた目的は、先生の元に留まる事ではない。
先生たちは私にもう十分教えてくれたのだ。
先生たちとの約束はここまで、なのだ。
いつまでもいると、私は先生たちに自分の人生の生き方も
何もかも教えてもらおうと求め、頼ってしまう。
それではいけないのです。私の人生の目的は果たせないのです。
”人生の目的”はこの時点でまだはっきりとわからないのですが、
”私の人生は、此処にはない”
それが、だんだんと分かってきたのです。

それに先生のところには、もう一人の私、分け御霊の一人が、
すでに先生に寄り添って、助けている。
それとはちがう体験をする、”もう一人”である私は、
先生のところを離れ、別の体験をするべきだ。

私は先生たちと離れなければいけないということを、渋々と受け入れ、
自分の居場所を求めて、またもがき始めることになるのです。

カルマを払うために、苦しい修行の時も迎えることになります。
それを経て、そこからまたひとりで居場所を求め、
先生から離れて10年を経て、やっと自分のいるべき場所を見つけました。

今の夫と出会い、家族を得て、その先へ向かっています。

今、私は誰かに認められようと焦ることはなく、自分の人生を誰かに尋ねることも必要ない。
答えはいつも自分自身で見つけることが出来る。
そして、今、生まれる前に、私と供に人生の修行をし、導く約束をしていた人たちが
私のもとに集ってきてくれる。

此処に私の居場所があります。

日々、魂の成長レッスンに励む皆様、こんにちはー。
私も、甘受してから、加速的にレッスン励んでます。
いろんな人と関わって、深く学び合っているので、
時間が濃くなっているような気がします。
学びのない日はありませんねー。

どんどん魂は学び、成長しているのに、
でも、時々停滞しているように感じることありませんか?
一歩進んで二歩下がっているような気分を。

調子よく階段を登っている時は、
自信も漲り、気分爽快にどんどん登っていけそうだけど、
何段も登ってきて、ちょっと上まできたな、と思うと、
上へ登る足が重くなるもんです。
それで、つい立ち止まってしまう。
踊り場で座り込んでしまう時だってある。

登ってばかりじゃ疲れてしまう。
それも自然の流れなので、焦らないでね。

成長が止まってしまったどころか、悪くなっているなんて
思えることも、あるかもしれない。
でも、登ってきた階段を下がってしまったわけじゃないの。
ちゃんと、生まれてからずっと、確実に登ってきてる。
途中でリタイヤ(自ら命を絶つこと)してない限り。

例えば、こんなレッスンもあります。

やっと自分の魂のガイドを感じられるようになり、
メッセージも鮮明に、これからは生きることもずっと楽になりそう。
と、感じたとたん「今度はシャットダウンしてみましょう」って、
つながりをわざと感じにくい状態にされることもあります。

実はこれも大事なレッスン。

一度ガイドの存在を知り、繋がってから、
シャットダウンを体験すると、
繋がっていない状態がエネルギー不足のようにしんどくて、
うす暗闇を手探りのように歩いているように、
先が見づらくて、いかに心細いかを知ることができる。
そうすると、繋がっていない人のつらさ、不安を実感できる。

明るさを知るには、暗闇も知ること。
それも大事なレッスンなのです。

人はいつも上り調子な時ばかりじゃない。
波の大きさは人それぞれだけど、波のない人はいません。
大きな波の中で、小さな波がくり返し揺れ、
その波に運ばれる船のようなもの。
波の頂上と、波の谷間では見えるものはちがうけれど、
アップダウンしながらも、
まちがいなく、先へ先へと進んでいるものです。

調子悪いっていう学びもあるわけだから、
そんな時、進んでいないんじゃないかって焦らないでね。
いつだって、今いるところに、今の自分にぴったりの
学びが用意されている。

スローテンポになっていないと、
感じられないことだってある。

例えば、道端の小さな花は、
自動車を運転してさーっと、通り過ぎたら見えないけど、
ゆっくり歩いていたら、気付くことができる。
ってことです。

目に映るすべてのものがメッセージって。
そういう歌がありましたよね。
最近つくづくそう思う。
身の回りのものから、出来事から、人から、本から、
ブログから、テレビから、映画から、メッセージだらけ。

波動が上がると、どんどん精度が上がって、更に頻度もあがって、
ものすごく分かりやすいピッタリのサインが、
ジャストのタイミングで目に映るようになってきます。
しかも、分かるまで、受け入れるまで何度も何度も。
いろんな方向からメッセージがやってくる。

次々に課題がやってくるので、ちょっとタンマ。
と、躊躇してると、大変なことになります。
最近は、私と私の周辺と強く繋がっている人が増えてきてしまって、
そういう人たちにも躊躇していることが、
影響してしまうということが分かりました。

先日も、ちょっと前々からの課題と分かっていることを、
大変面倒くさいので後回しにしていたら、
たて続けに、敏感な体質の二人から、
「自分でなんとかしてください。」
「とぐろ巻いてますよ。」というようなメッセージが伝言されてきました。
それも、自分でもそう感じていて、取り組まなくちゃと思っていた、まさにその頃に、
彼らは私についてのメッセージを精霊から受け取り、
伝えないでいると催促されたり、具合が悪いことになって
言わざるを得ないようになったりしたらしいです。

それだけじゃなくて、自分が人に伝える言葉さえ自分へのメッセージ。
しばらく自分の課題とシンクロするリーディングばっかり・・・。
少し前に自分がもらったメッセージが、そのまま出てきたりする。

はぁ~・・そんなに念を押さなくたっていいじゃないの。
なんて、思ったりもしましたが。
私は世界と繋がって対話しながら生きている。そういうことなのね。
そりゃ、もう、疑いようがないくらいの度重なるメッセージ。

波動が上がると、学びのスピードも加速します。
でも、切り換えも早く出来るようになるから、大丈夫。

そうそう、メッセージの読み方は特別な能力はいらないものもあります。
すべては思いの反映ですもの。現実に現われてくるのです。
それを読み解けばいいんです。

例えば、だんなとの口論でむっとして家事をしていたら、
小指の先をぶつけてしまいました。
「些細なことです」ってメッセージです。
ま、そうよね。って。
それで切り換えれば、それでいいんです。

ちょっとしたハプニングも、トラブルも事故も病気も、すべて何かのサイン。
状況やどこがどんな症状なのかを調べると、今の気づきのヒントが見えます。

だから、ただ痛み苦しみを取り除く、癒す前に、ちょっと考えてみてください。
なぜ、それが起こったか?何を伝えようとしているのか?
苦しみや痛みを伴うことこそ、どうしても伝えたいメッセージであることが多いです。
理由なく起こることは、何一つないんですから。
そこに、大きな気付きのヒントが隠されています。

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