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”甘んじて受ける”。若い頃から私のスローガンでした。
苦い薬も甘いものとして感謝して受け取る。
良薬口に苦し、ですからね。
でも最近、ご褒美に甘いものばかり食べられるようになって、忘れていたようです。
苦いお薬、飲んでませんでした。

さて、前にも触れましたが、
私は人にスピリチュアルな話をすることを、
極端に避けてきていました。絶対に話すまいと口を噤んでいた。
前世で迫害や殉教を体験していて、
人からおかしいと思われること、否定されることが
怖くてならない感情を前世からひきずってきていたのですね。

でも、本当は、魂の秘密は求める人には分かち合わないといけない。
前世を知ることは神さまからの特別ギフト。
知ることが出来る者は、伝えなくちゃいけない。
分かっているけど、怖くてできない。
人を導く自信が持てなくて、取り組めない。
それがずーっと、今生の私の課題だったのです。

ごく限られた、話が分かってくれる人にしか真実が話せない。
これは、我ながら、すごい人見知りですね。

それが、ネットという世界と出会い、
ブログを始め、多くの人々が魂や前世や精霊や神仏について、
触れたいと願い、求めていることを知り、
私としてはかなり一大決心をしてこのブログを立ち上げ、書き続けてきたのです。
でもね。ブログだけで勘弁してよ。
正直なところ、そんな気持ちでいたのです。

ところがブログは練習だったみたいです~。

少し前から、私のもとでスピリチュアルな世界に目覚めた人を介して、
いろいろなことで困っている方と実際に会って、
霊的な相談を受けるような流れになってきてしまった。

それに、前回紹介したナビィさんのようにスピリチュアルな話が
普通の会話のようにできる人とも会ったりして、

ブログだけじゃなくて、実際に話す機会が増えてきました。

スピリチュアルなことについて、もっともっとお話しなさいね。
精霊にもそう言われていても、
実際にそういう場面で話そうとすると、とても憂鬱になるのでした。
そんなこと突然話したら変だわ、とか、
この人は話さなくても分かっていることだから話さなくていいよ~。
とか、いっぱい言い訳をくっつけて、押し黙っていると、

首や肩がだるーく、重ーくなってきます。
どこかに行ったりすると付いてきたり、人が連れてきたりする、
体のない、さまよっている魂たちが、
スピリチュアルな話を聞きたいから、と寄ってくるのです。
彼らも必死です。彼らだって学びの徒には変わりなく、
少しでも気付きを得て、ほんとうは縛られた心を解放されたいのです。
それで、スピリチュアルな話の気配を感じるとついてくる。

それなのに、私が口を噤んでいると、
話してくれないのか?とプレッシャーをかけてくる。
憑依体質の人なら、分かると思うけど、
本当にだるーく、イスに腰掛けていることさえしんどくなってきます。
とうとう耐えきれなくなって、口を開き、
精霊からのメッセージなどを目の前の人に伝えると、
スーッとだるさがとれて楽になる。

それを見かねて、ナビィさんから、
そろそろカンネンしないと、もっと大変なことになるよー。
気持ちを切り換えて、楽しんでやっちゃおうよー。
なんて励まされ、そういうメッセージが他にも重なり、
とうとう、私も改心しました。

忘れていた自分のスローガンを思い出したのです。
そうだった。甘受しなくちゃね。

気持ちが切り替わった私のところに、
さっそく、その日から、相談が舞い込んできます。
待ってましたと言わんばかりの展開の速さ~。

それから、ここで知り合った方とも
ブログでは説明しきれないことをメールでやりとりしたり、
一人一人の方と、それぞれの前世や魂の課題に深く関わるように、
まさにシフトチェンジしてきました。

本当に忙しくなってきちゃいましたが、
苦いお薬は、飲み込んでみたら、甘いお薬に変わりました。

最近はすっかり相談を受けるのが楽しくなってきました。
ほんとに分かってくれるかな~?と恐る恐る話してきたんだけど、
みんな、とっても嬉しそうに、楽になった、元気になったと、
前向きに受け止めてくれるんだもの。
嬉しくならないわけがありません。
もっと人を信じなければいけませんね。

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「高い気持ちを持ち続けるのが難しいのだけど、どうしたらいいの?」と
友人からメールが入りました。
この人は最近、スピリチュアルの扉を開けたばかりの人です。
でも、もう長く精神世界を勉強して、生活に取り入れている人でも、
ちょっとしたことで、気持ちのバランスを崩してしまうことがありますよね。
今回は波動をあげることについて、お話しましょうねー。

なんて、実は難しいことじゃないと思うんです。

美しい風景、自然、それから音楽や絵など芸術に触れて、感動すればいいんです。
できるだけ、神さまが作られた波動の高いもの=自然の美しさがいいと思います。
海や森や空など。出来るだけ手の加えられていない自然なら、なお望ましい。
人の創ったものならば、無機質なものよりも、自然なもの。
音楽なら実際に目の前で鳴る音や声がいいし、
絵なら実際に描かれたものがいいと思う。

美しさ、清らかさ、柔らかさ、優しさを感じるものがいいです。

難しいことを考えると、分からなくなってしまいます。

ただ、より明るい方へ、暖かいほうへ、高い方へ。
気持ちを向ければいいんです。それだけです。
そうでない方を見てたら、波動はどんどん落ちてしまいます。
そうすると、気持ち悪いもの、暗いもの、寂しいものに囚われてしまいます。

それが、気持ち悪いものを見ないコツだと、私はNさんから教えてもらいました。

ラジオと一緒なんだって。周波数を変えればいいんだって。
悪霊や怨霊よりも、精霊や神仏を感じたければ、
チューニングを、変えればいいんです。
テレビと似ているともいえますね。
チャネリングなんて言葉は、まさにチャンネルから来ているんだものね。
より美しく、清らかで、暖かく、明るい、高みからの光にチャンネルを合わせて行きましょ。

ただ気持ちを切り換える。それだけのことなんです。
難しく理屈を考えてしまうと、出来ないかもしれない。

たとえば、嫌なことがあって、怒りや憎しみが湧き出すことがあっても、
人を羨ましく、妬む気持ちが湧いてしまっても、
(原因は解読済みで思い癖の場合ね。そうでない場合は原因を解読すること)
これは思い癖、囚われていてはいけないんだ。と決意して、
原因を確認したら、流してしまう。トイレにでもね。ジャーっと。
それから気分を切り換える。
美しいものに触れて、その世界に気持ちを誘われてしまってください。
心の中で思い描くだけでも効果があります。
庭に出て植物に触れるだけでもいいです。

波動が高い人というのは、心に美しい風景を持っている人です。
美しいものと繋がっている人です。

そういう人になると、その人がいるだけで、
職場の雰囲気が明るく変わる。家の中が居心地がいい。
その人と空気を分かち合いたくて、人が寄ってきます。
シンクロが頻発し、神さまからのギフトも増えます。

さ、波動をあげていきましょう!

最初の結婚を終わりにして、ひとりで自由になった私は、
精霊から集中講義を受けていました。
講義の内容は、人生を自分で創造することについて。

人生に苦しい思いは付きものなのか?
と、私が問うたことが始まりだった。

時には苦労しなくてはいけない時もある。
しかし、人生を自分で創造的に生きることによって、
苦を苦と感じないで、自分の望む方向へ人生を導くことが出来る。

”現し世”と言われるこの世は、どこを現しているか?
魂の世界、霊の世界、の反映である。
思いや念が、形となっているにすぎない。

精霊の答えは、こうだった。

それについてのいくつかの本(主にジョセフ・マーフィー氏の本)へ導かれ、
よく読んで、実感するまで、レッスンした。

人生は、潜在意識の現われ。
想いが深く魂にまで届いた時、現実となって現われる。
つまり、潜在意識に自分の思いを届かせれば、
現実を創り出す事ができる、とも言える。

それが自分勝手な欲であっても、潜在意識に届いた思いは実現する。
でも、もちろん、それではいつか虚しさを感じることは分かっている。
愛に沿っていなければならない。

その上で、私は、限りのある今生をどう生きたいと願っているのか?
私の魂は、何を誓って生まれてきたのだろうか?
私は自分の魂の声をじっくり聴くことにした。
そうでなければ、人生をどう創造すればいいかわからない。

私の魂の望み・・・・
愛に生きること。人と、それから精霊と愛し愛されること。
それを表現すること。それは絵を描くこと。
それから唄を唄うこと。
もっと、もっと、鮮明に微細にイメージングしなければ。

私が表現したことを理解し、サポートしてくれる、
一緒に支えあえるパートナーが欲しいと思った。
私の唄に伴奏してくれるパートナーがいい。
その人とは、自然とともに、出来たら海のそばに住みたい。
それも暖かい場所がいい。そこで愛に生き、表現する。

自分の絵の個展をするイメージ、
唄を聴いてもらうイメージ、
パートナーを持ち、田舎に家を持つイメージ、
を、くり返し、鮮明に、どんどん微細に思い描くことにした。

それから、この時生まれて初めて、子供を持つビジョンが浮んだ。
(私は若い時に子宮内膜症で不妊の疑いがあると言われ、
事実それまで一度も妊娠したことがなかった)
子供を持つ誓いが眠っていたのだと分かり、
そして、私はそれを望んでいた。望んだのも初めてだった。
自分の子供のイメージも付け加えられた。

そんなイメージングを4ヶ月位していた。

まず最初に、パートナーとなる人と出会った。
ちゃんと、すぐにその人だと分かった。
シルシが付いているように。

その人は音楽をする人だったので、
一緒にバンドを組み、ライブをした。唄う望みが叶った。
そのうち、不妊のはずの私が妊娠し、子供を出産した。
ひとり目出産の後、ひょんなことから個展をしないかと持ちかけられ、
ささやかながら個展を開催させていただくことになり、
次の妊娠をきっかけに、パートナーの郷里である、
南の島へ、将来は帰ろうという話になった。
現在、帰郷するために準備をしている。

気がつくと、あの頃思い描いていた望みは
すべて実現しようとしている。

苦労も在ったけれど、それは学びと、次へのステップだった。
「人生を自分で創造的に生きることによって、
苦を苦と感じないで、自分の望む方向へ人生を導くことが出来る。」
精霊の言葉は、ほんとうのことでした。

家で自分でデザインして雑貨を作るのが仕事ですが、
このところ、仕事がはかどりません。
家事やら、子育てやら、相談やら、雑用やらがいっぱいで、
そのうえ、スピリチュアルなメッセージがいっぱい来て、
ここに書かないと、頭がいっぱいになってしまう。
で、仕事する時間が少なくなってしまう。

だんなには最近は生活費全部用意してもらっているけど、
お仕事しないと、余分なお金は入ってきません。
将来のことを考えて貯金だってしたいのに、
最近は出費が多くて、貯金がなかなか出来ません。
それに、作家だと言えるくらい、作ることでちゃんと稼ぎたいのだ。
自分の生きがいとしても。アイデンティティとしても。

そこで、精霊にお願いしてみた。
どうか仕事をさせてください、と。

精霊の答えはというと、
「ちゃんと必要なものは、必要な時に入ってくるでしょう?」
大丈夫、なんとかなるから。」
・・・・私の精霊さん、お金についてはいつもそんなんです。
それでも、稼ぎたいと言ってみると、
「もっとあとでゆっくりと」

どうも、今は稼がせてもらえないようだ。
私は今までずっと自分で稼いできた。
三回目の妊娠と入院までは、生活費はシェアして半分払ってきた。
私の方が多かった時もあったくらいで。
だから、自分で稼げないと、どうにも居心地が悪い。

だけど、精霊は言うのです。
「今のままで尊重されるように」と。
主婦業だけでは尊重されにくい、だんなからも、社会からも、自分自身からも。
だけど、たとえ実際に代価をもらっていなくとも、
本当は、十分に必要とされる仕事をしている。

家事が完璧とか、そういうことじゃなくてね。
みんなの心のクッションとしてね。
みんなの心のよりどころとしてね。
存在しているレッスンなのね。

これは、自分が自分を尊重する、というレッスン。
そうすれば、周囲の人々も、私が稼いでいなくても、
家事が完璧でなくても、尊重してくれる。
怠けるということでもなくて、
できることをできるだけしているだけで、十分に。

ついつい自分で稼がないと、養ってもらっていると自分を卑下してしまいがち、
自己評価が低くなってしまうのよね。
稼がなくても尊重される、って、
働いて稼ぐレッスンよりも、けっこう難しいレッスンですよ。

でも、まあ、気付くと
実際にそういう風な流れになりつつある。

そんな感じがし始めた、今日この頃です。

子供の頃から、生まれる前からの記憶を持っている私は、
生きていることが嬉しくてしかたない人でした。
足で地面を歩く感覚、手で水をかく感覚、頬で風を受ける感覚、
それを感じられることは、飽きもせず楽しくて楽しくて、
ここに存在している私、それがもう、とっても嬉しくて嬉しくて、
それはもう、にこにこでご機嫌な子供でした。

実は今もそう、ふとした時に、感じる。
あ、私、ここにいる。生きている。人間やっているんだねーって思うと、
その時、どんな大変な問題を抱えていようと、
ちょっと、うふふってなっちゃう。

そんな時、私の精霊などは、うらやましがっています。
体があって、この世で体験を積み重ねられるなんて、
なんてうらやましい!!って。

母親の胎内に宿り、体をもらい、生まれてきた私たちは、
そうでないものたちから見ると、垂涎の的。
なんとした幸運!うらやましい境遇!なわけです。

なぜうらやましいか?って?
私たちの本当の姿は、体のない霊魂です。
魂だけの状態になっている私たちは、自分の波長と同じ場所にいて、
同じ波長の魂の仲間たちと集まり、そうでない波長の魂とは
通常、あまり接触がなく、自分たちの学びをしてます。
高校のようなものかしらねー。同じレベルの人が集まっていて。

仲間たちの中から順番に体をもらって、この世にやってくる。
仲間たちは天上から、体をもって生まれた人を通して、
この世を見て、一緒に学んだりしている。
テレビを見るみたいに。モニタリングしているのね。

この世は、波長のちがうあちらこちらから様々な魂年齢の人が
同じ場所に同じように体を持つことで、出会う場所です。
自分とちがう人と触れることは、とても勉強になります。
異文化コミュニケーションなわけだから。

それに加え、体のある物質の世界にいると、
転んでしまって痛い、とか、
風を受け止めて心地よく感じる、とか、
何かが起こって、それを感じて、気持を動かすことができる。
有限の体があることで、生まれる喜びも、失くす悲しみも体感する。

もちろん、体がない状態で、モニタリングしている仲間も、
一緒に疑似体験して、学んでいる。

でも、テレビを見ていても勉強になるし、感動するけれど、
実際に体験する感動とは比べものにはならないでしょう?
留学している人のドキュメンタリーを見ていて、
勉強になるけど、実際に留学して得た学びにはかなわない。
うらやましいなーって思うでしょう?

そんなわけで精霊たちは、私たちをうらやましがっているんです。
体をもらった私たちは、精一杯生きていることを味わいましょうねー。

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