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守護霊でも、天使でも、神様でも、仏様でも、
ご先祖様でも、スピリットガイドでも、呼び名はなんでもいい。
誰にでも必ず、守ってくれている見えない存在がいます。
誰も助けてくれない。誰も愛してくれないと、
そう思ってしまってつらくて寂しくて苦しい時。
ほんとうは一人じゃありません。
彼らが寄り添ってくれています。
私たちが「助けて」と呼べば、いつもすぐにでも
そばに飛んできてくれているのです。
どんな時もあなたをひとりにはしないし、
あなたを責めたりしません。
誰よりもあなたの最善を思い、あなたの味方をする存在です。
彼らは呼び名にはこだわりません。
私たちが望む姿かたちになります。
私たちを助けるために、細かいことは気にしません。
彼らを遠ざけているのは私たちです。
自分を取るに足らないと思ったり、
罰せられて当然だと思ったり、
愛される価値がないと思ったり、
そんな都合のよいことはありえないと思ったりして、
彼らからの愛から、自分で離れてしまっているのです。
受け取らないでいることを選んでいるのです。
彼らは何の制限もかけていません。
うっかりまちがって困ってしまっても、
助けてとたのめば、助けてくれます。
困っているときほど、呼んでください。頼んでください。
小さな愛しい子供に寄り添うように飛んできて
「どうしてほしいの?」と聞いてくれます。
さて、問題はこちらがリクエストしないと
彼らはどうしていいか分らないということです。
世界はそういう仕組みになっているんです。
チェンジして特にその仕組みが強化されているみたいです。
ガイドにリクエストが頼めるのは
あなたが特別だからじゃないかと、時々言われますが、
それは違います。
たぶん、ちょっとしたテクニックというか、
お作法というかコツがあって、それを知っているだけなんです。
なんでもリクエストされたことがそのまま現実になるので、
まず「そんなことありえない」と思ったら、そのとおりです。
「それもありだよね」「そのとおりだ」って思って、
素直にリクエストして、そのとおりになることを
何度か奇跡のように体験すると、実感できます。
かれらの存在。かれらの役目。かれらの力。
リクエストのお作法についてですが、
私たちは夢を見ますが、あれはガイドからのメッセージです。
一方通行だというわけじゃなくて、彼らは彼らで、
私たちに働きかけてくれています。
なんとか導こうと、ヒントを与えようと、助けようと。
そのひとつが夢です。特別なことじゃなくて、誰でも見るでしょ?
誰でもガイドとオンラインなんです。
さて、夢は映画みたいに映像じゃないですか?
色も付いているし、時には香りや質感も感じたりできる、
とてもリアル感のある、ビジュアルイメージですよね。
それこそが、”ガイドの言語”なんです。
だから、イメージングが大事だって言われるのです。
想い描くことはそのまま叶えられますって言われるのです。
ビジュアライゼーションが、私たちがガイドに伝える方法なんです。
逆の作用も知らないうちにしているんですよ。
心配事をビジュアル化しちゃってませんか?
怖いことを想像して怖がってたりしませんか?
心配だったり不安だったり恐怖だったりすることを
”何度も”想っていると、そうとは意識していないうちに、
それをリクエストしていることになります。
固定概念というのも、鮮明なイメージに近いですね。
実はガイドには、プラスもマイナスもありません。
善悪の基準も私たちと違います。
ただただ私たちのリクエストを喜んで叶えてくれます。
私たちが知らずに”苦労”をリクエストしたとしても、
「そっかー。学ぶ気満々だねー。えらいー。」
なんて、喜んでくれる時もあるほどです。
「まだする気なんだー!いいよー!」って
惜しみなく、リクエストに応えてくれます。
イメージは鮮明で、揺るぎないものでないと届かないようで、
”何度も””くり返し”想像されたものだけが現実化します。
だから、想ったことがすぐに現実にならないのです。
ちょっと想像したことがすぐ本当になったら、大変です。
うまく出来ている仕組みです。
言語が上手く習得できていないのと同じようなものですね~。
はっきりと発音できるようになるまで、
なんども繰り返し言ってみることが大事だし、
むこうからのメッセージにも分るまで何度も
エクスキューズ?とかパードン?してください。
ガイドはおそろしく気が長いので、何度でもつきあってくれます。
なにしろ私たちひとりひとり専属の執事のようなものですから。
チミモウリョウって読みます。
今回は魑魅魍魎にまつわる、ちょっとした夢物語をひとつ。
ある時、闇と戦っている人がいるという
お話を聞いたことが、きっかけでした。
その人たち、悪霊を封じ込めたりしてるんだって。
映画や漫画じゃなくて、実際にしている方がいるんだって話。
インパクト強かったんで、縫い物などながら暫く考えていた時です。
久しぶりに魑魅魍魎がそばに寄ってくるのを感じました。
ぞくっとする気配を感じて、ちらと見ると、近づいてきました。
あ~考えてたからなーって、ちょっと嫌な感じもしたけど、
これもお役目というか、学びのひとつと思い、あきらめて、
何が話したいの?って聞いてみることにしました。
話をしにきているのは知っていたので。
すると、魑魅魍魎くんは、
「あいつらはひどい」って、言うの。
「オレを責めるんだ、いじめるんだ、追いやるんだ」って。
「悪い、悪いっていじめる」って。
しょうがないので私は、「そんな気味の悪い姿をしてるからだよ~
姿が違うから、違うものは悪いものだって言われるんだよ」と諭しても、
「だってあいつらがひどいからだ」ってくり返すので、
そんな姿になったのはいつから?なんでそんな姿になったの?と聞くと、
彼は、江戸時代か、もっと前かも。
昔の薄汚れた農民の男の姿になった。
食べ物が乏しい頃だったみたいで、いつも飢えていたし、
誰もが愛よりも何よりも、自分の飢えを満たすことに必死だったらしく、
彼の母親は彼を蹴った。のけ者にしたと言った。
ロクデナシの彼を追い出したって、
荒んで育って、悪い仲間と集まって盗賊になって、
悪さばかりして、人も殺して、
それしか生きるすべは知らなかったようだけど、
それで結局、殺されて山で死んで、
それ以来ずっと、どんどん黒いだんごのように
ひどい姿になっていたそうです。
人を憎んで憎んで、世をのろって身悶え続けてきたと教えてくれた。
ひどい奴しか知らないと彼が言うので、
そんなことはないでしょ?一人くらいいたでしょ?というと、
あぁ、そういえば、
旅の坊主が彼のために憐れんで
南無阿弥陀仏と祈ってくれたと教えてくれたので、
みんながみんなひどいわけじゃないでしょう。
いつまでも魑魅魍魎のままでいていいのか?
と諭していると、彼が反省したんだね。
光とともに、阿弥陀如来がやってきてくれた。
その光を示して、
あそこへ行けば、もう一度生まれなおして学びなおせると教えると、
もう一度会いにきていいかと言われて、
ちょっとぎょっとしたけど、
ちゃんと生まれ変わってきたらいいよと、答えておいた。
それから、あなたのおかげで、また気付いたことがあったから、
あなたがここに来てくれたのは私のためでもあったんだね。
ありがとうと感謝を伝えると、
彼は納得して去っていった。
私も、人のことは言えない、荒唐無稽な話してますが・・・
ガイドが私に分かりやすく見せてくれた物語なのだと思います。
魑魅魍魎とて、元の姿は愛を知らないがゆえに苦しむ人の姿に過ぎないと。
足りないのは、ただただ愛だけだと。
世界を怖がって憎んでいる人には、この世は恐ろしい場所だろうと思う。
この世を愛している私でも、最初は一瞬、その気配や姿にちょっとおぞけるから、
怖くて堪らない人は、拒絶して戦ってしまうでしょうね~。
そのことを確認しました。
でも、これに似た話を私の仲間の一人もしてました。
血まみれの姿の男がやってきて脅かそうとするから、
話を聞いて欲しいなら、それなりの格好で来いとにらんでやったら、
慌てて血をぬぐって、ちゃんとした格好に直して、正座してやってきたって。
案外、有名な霊能力者さんたちも、戦うのではなくて、
そうやって悪霊くんのカウンセリングしてるんじゃないと思いました。
私は専門外なので、あんまりしませんが。
私はほんとに時々なんだけど、
こんなことがしょっちゅうな人も、
私の知人には何人かいます。なぜか男子が多いけど。
でも、何かのマスターでもないし、人にいばって話しているわけでもなく、
生活の中で、まるで生きている人にカウンセリングしているように、
実体のない霊たちのカウンセリングをしている人たちが、内緒だけどいます。
戦ってるとか、使命とかでもなくて、ガイドが言うから仕方ないって。
自分の学びのためにやりなさいって言うからやっている。
こんなことをしている自分はアタマおかしいのだろうか?
なんて私に話してくれました。
これもまた私が闇について学んでいる時の相談でした。
何かのヒントになればと思い今回お話しました。
こんな荒唐無稽なお話も、世の中にはあるということでした。
今、新しい段階で、すいすいと身軽になり、
どんどん進んでいる人と、
シフトしたはずなのに、
遅々として進まず、重苦しい感じに停滞している人が
いるのではないかと思います。
新しい教科書をもらっただけでなく、
新しい学校、新しいクラスには、
新しい気風というか、お作法というか、ルールというか、
ちょっとした傾向があるようです。
これを抑えておかないと進めないようです。
実は私も、ちょっと重たくなってました。
やっと新しい傾向に気付いたところです。
それは、自分の心に、自分が正直であるかどうか。
”本心から望むこと”をよく言われます。
”本当に心から望まないと叶わない”ともよく言われる。
純粋に、正直に、心から。なの?って。
私がそうなのだけど、今まで自分を抑えていたり、
後回しにしていた人には、ちょっと難しいのですが、
”自分の正直な心を何よりも優先する”ことが大事なようです。
本当の意味で自分を大切にするというレッスンです。
これは我がままというのではなくて、
自分の人生を創造するために必要なことだからです。
そして、新しいクラスでは、先生(ガイド)に、
棚卸をして確認して持ってきた持ち物を全部見せて、
どれがどれくらい大事で、優先なのはどれで、
どのくらい好きか?どうしたいか?
などどインタビューされている感じです。
棚卸しは前の段階の整理だったのね。
新しい段階でも、全部の持ち物を整理しなくちゃいけないとは、
めんどくささにちょっとびっくりですが・・・
新しい学年、学校に進むというのはそういうことでしたっけね。
私は特に、新しい学校に進んだので、
真新しい学用品と、教科書すべてを点検し、名前を書いて、
先生と相談の元に時間割を決めているようです。
だからだと思うのですが、ふだんよりもよく寝ます。
寝ている間に面談してるんだと思います。
起きている間も、これはどのくらい大事?
これはいるの?どっちが好きなの?といちいち聞かれている感じ。
それもすべて、”本心から””純真に”が基準。
もとよりガイドには、自分の心の中はお見通しなので、
嘘だのごまかしだのは最初から通用しないのですが、
ごまかそうとしたり、嘘をついたりしようとしてるんじゃなくても、
時々、自分自身で本当の望みを忘れたり、分からなくなったりします。
前からの癖でね。
遠慮や批判や社会通念や、
あるいはうるさい配偶者なんかが気になって、
うっかり、本当の気持ちを見失うことはありますよね。
くたくたに疲れたりしても、ほんとうにこれがしたかったかなぁ?って
思ったりすることもありますよね。
そんな風に、これは・・・・どうかなー?ちょっと自分でも分からない。
なんて悩んでいると、とたんにすべてがストップします。
はっきりさせておかないと進めないようです。
自分が決められないと、不快指数かなり高いです。
今までよりも格段に顕著ですー。
上手くいかない、滞って進まない、ぶつかる、トラブルが起こる
といった具合に、嫌な感じのサイン目白押しになります。
うっかりすると、選択を間違えたのか?と動揺してしまいますが、
で、あなたは本心でどうしたいの?ここはっきりしていないよ。
ということを突きつけられるようです。
以前のエネルギー”甘受する”から、
今度は”人生を創造する”エネルギーにシフトしているので、
創造しないでいると、とたんに大変なことになるようです。
創造するためには、何をしたいか決めないといけない。
そのためには、自分が何を望んでいるか分かっていないといけない。
だから、自分の本心が、何が望みなのかが、とても大事なのですねー。
それは、自分とガイド間だけでなく、
他の人間関係にも当てはまります。
自分の本心からでなくて、建前だったり、
めんどくさくて、相手に合わせて言っていたりすると、
途端にすぐ見透かされたり、ぴしゃりとやられたりします。
たぶん、みんなの感性も高まっていて、
ひとりひとりのテレパシー通じやすくなっているんで、
本心で勝負しないと通用しなくなっているですね。
そんな風に日々、選択を迫られていることで、
新しいエネルギーにシフトしていることを実感しています。
このエネルギーは、私たちがひとたび、
自分で自分の人生を創造するのだと覚悟を決め、
心からの望みをきちっと収め、優先順位を決めると、
軽やかにすばやく動き出します。
望むことはひとつでもなく、いくつでも叶えてくれるのです。
だから、優先順位をつけることが求められるのね。
私たちは受け止めるのではなく、
自分たちで創り出す存在にシフトしたのです。
シフトチェンジという大きな切り換えは、
すべての人に起こっていると思います。
そんなに大きな変化のない人も中にはいるようです。
進学した人もいれば、進級しただけの人もいるという感じ。
どちらにしても、古い教科書は一旦捨てて、
新しい教科書を渡されていると思います。
学年が上って、ちょっとレベルアップした感じの教科書。
同じ内容を更に深めて習いなおすという科目もあるし、
まったく新しい内容の科目もありますねー。
みなさんはいかがですかー?
私と私の近しい人は、
時間の濃度についての教科書をもらったようです。
時間の使い方というか、コントロールの仕方というか。
同じ一時間でも濃度が全然ちがうというのが、前よりも顕著です。
時間だけどんどん進んで、自分はなかなか進めない感じがしていて、
これいったいなんだろーと暫く思ってましたが、
これはむしろ前より時間が速まっているように感じるからのようです。
簡単に言うと、ボーっとしてるとあっちゅうまに次の日!
というのがひどくなってます。
時間の使い方に工夫しないと、何も出来なくなってしまうのです。
では、どうしたらいいのかなー?と思っていたのですが、
なんとなく分かってきました。
前にもお話ししましたが、
創造する時間もちゃんと持つことが
バランスを取る上で、必要不可欠だということと、
もうひとつは、からだのケアの必要をとても感じていました。
仕事にまい進すればするほど、疲れも溜まりますから、
どんどん進むためには、まめにケアもしないといけないのね。
今までだと忙しいと自分のからだのケアは後回しにしてしまう。
忙しくてそんな時間もったいなくて取れない~って感じで。
でも、そこがちがうのですねー。
例えば、一時間ゆっくり時間をとって、
丁寧にからだを解して癒す時間を作る方が、
あるいは、
自分を楽しませる創造的な時間を一日割いてとった方が、
うっかり疲れすぎてフラフラに疲れてぐったり寝てしまう・・・
ということが無くなるってことなんですね。
今まで時々そんなことになってましたが・・・。
それも自分が心からリラックスするとか、
心から好きなことを楽しむということ、
”心から””正直に”がとても重要。
とりあえずとか、何かを気にしながらとか、
何かのために、誰かのためにでは充電できないのです。
正直に”自分を楽しませるため”でないと。
メリハリをすごくはっきりつけないといけないってことなんですね。
完全な、純粋な、”楽しみ””喜び””安らぎ”を感じることが
大事なことのようです。
で、そうすると、例えば、今まで一日かかって作業してやっと
作ってきたものが、あっという間に出来たりする。
一時間で絵が描けちゃった・・・・みたいな感じ。
これからは今までよりもずっと苦労せずに
制作も、人生を創造することも出来ると
ガイドは言ったけれど、そういうことのようです。
友人のひとりは、同じ内容を更に深めるレッスンに入りました。
それは今まではあることも意識できなかったほど
無意識に自分の心の中に存在していた”怒り”を
意識して手放すというレッスン。
空気みたいに見えないくらい、
当たり前のように自分の一部のようにあったので、
最初は”怒りがありますよ”というメッセージの意味が
まったく理解できなかったそうですが、
シフトチェンジしたら、今までは意識できないくらいのものは
取り組まなくても良かったけど、
もうそれさえも抽出して手放すレッスンに入ったわけですね。
そういうことかって納得して、
取り組んでみることにしたようです。
私も友人も新しいレッスンは、さすがに難しくて、
すぐにクリアできそうになくて、しばらくコツがつかめるまで
四苦八苦しそうではありますが・・・・
やったー!新しいレッスンだーー!って
なんだかちょっと嬉しい新入学生気分です。
あ、シフトチェンジ完了したんだなーって感じていました。
周りの人のエネルギーがすっかり変わってきています。
出会う人出会う人、衣替えが済んだように、
なんだかちょっとすっきりしたお顔に。
ある人は、私と話している最中に変わってゆきました。
最初は迷っていて不安そうで苦しそうなお顔だったのが、
3時間泣きながら話した後には、しっかり覚悟が決まって、
迷いのないすっきりした、しっかりした眼差しに変わられていました。
あぁ、数時間で切り替わり完了する人もいるんだな~。
私が最後の仕上げのお手伝いをさせていただいたんだな~。
と、ありがたく実感させていただきました。
みなさん、新しい日々が始まっていると思います。
シフトチェンジってほんとうにいろいろなんだなって。
先週からずっと学ばせていただいていました。
役割が、学びが、チェンジする。
それはひと括りには出来ない多様性があります。
スピリチュアルな学びを日々の暮らしで実感する
という生活が始まった人もいるし、
私のように今まで引きこもっていた人は表に出始め、
逆にずっと活躍していた人が、静かに自分の時間を過ごすようになり、
実際に環境が変わって住む町も仕事も変わった人もいるし、
何かを捨てて、何かに絞るという人もいれば、
何かを足して、役割が広がった人もいます。
環境もつきあう人も変わってないのに、
過ごし方付き合い方がみごとに変わった人もいます。
思いもかけない隠されていた病気が発覚して、
それに向かわざるを得なくなった人もいます。
負担の重い役割を担うことになった人もあるし、
愛されることをひたすら求めていた人が
今度は愛する側に変わらなければいけない人も。
守られていた立場から自分が守る立場に変わった人も。
ずっと人に合わせ、人のために生きていた人が、
自分が後悔しない為に、自分のために生きると切り換える。
いろいろなチェンジが起こっています。
シフトチェンジとは、ただハッピーに変わるわけではなくて、
クリアしたからと言っても、楽になるというよりは、
むしろ上の学校に上ったから、問題のレベルが難しくなった~!
ということになってます。
でも、確かに、この新しい日々のために、
今まで準備し、そしてやっと始まったのです。
ながらくこの日のために、
人によってはここ何年もの時間が準備に費やされてきています。
私などは、生まれてきたことが、今までの人生すべてが、
この新しい日々のためじゃないかとさえ思えます。
すべての人に共通なのは、
不安を手放し、自分を信じ、自分の足で歩き出すこと。
自分の役目を知り、覚悟を促され、更なる甘受をすること。
自分だけでなく、周りの人と心を開きあって、
分かち合い、助け合い、未来を明るく創造すること。
確かにより人間らしく、より尊厳を持って、生きるために、
私たちは新しい日々をスタートさせたのですね。
1日に、ひと月に、1年に切り替わりがあるように、
10年ごとに1世紀ごとにもエネルギーは切り替わり、
そして、千年単位の切り替わりがあって、
それが完了したのです。
それがシフトチェンジでした。
今度の千年は、さらに素晴らしい千年だと、私は明るく感じています。
こんな切り替わり時期に生まれるって、
ほんとに、エキサイティング~!
だからこそ、この”時”を体験するために、
わざわざ私たちは生まれてきたんですよね。
千年に一度のチャンスですから。