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メッセージがあって、やるべきこと気付いてしまったら、
自分で気付いたんでなくともお知らせされちゃったら、
それを実行しないと、サインはますます強くなります。
つまり、症状が悪化したり、アクシデントやトラブルなどが起きて、
はやく取り組もうよと急かされます。

分かったでしょう?さぁ、やりましょう。って。

こうなったら観念して甘受し、示された道を進むしかないのです。
そうでしか物事は好転しないでしょう。

でもね。ほんの半歩でも踏み出せば、取り組めば、
あとはガイドが助けてくれる。
半歩の勇気を振り絞ることが、きっと何より大事なんだね。
だから、恐れずに踏み出そう。半歩でも。

私も、そんなレッスンしてました。
あ~。分かっちゃったよ。やるしかないや~。って。
とにかく取り組んでました。

頭で考えるとそんなに有効だとは思えないことでも、
ガイドがくれたひらめきは、とりあえず考えずにやってみる。
やりだしてみる。
上手に出来なくてもかまわないし、とっちらかったままでもいい。
こんなんやって大丈夫?なんて不安は置いといて。
完全に全部気に入るものじゃないとしても、
あとから相談して、調節していけばいいんです。修正ききます。
とにかく、とりあえずやってみることが大事。
ガイドが示したことはね。

そうしたら、思いもかけない展開が待っているものです。

これからしなくてはいけない難問があると、
誰でもやる前から二の足を踏む。
負担に感じてしまう。大変なことをするのが嫌で。
でも、私たちのレッスンの本質は、気付くことなので。

ただ気付き、そして気付いたことに取り組みはじめるれば、
あとはガイドがなんとかしてくれます。

そっか、そういうことだったか?と分かるだけでいい。
足りなかったのはこれだったか?とかね。
相手も苦しくてひどいこといったけど、本当は愛があるんだな。とか。
そんな風に、心の問題に気付くこと。それが目的だから。
答えさえ見つけたら、あとはガイドが調整してくれます。
自分がやろうと思ってたのに、他の人がやってくれちゃったとか。
思いもよらない勢いでぱーーっとやっつけて終わってしまったとか。
あるいは、相手があれば相手の気が変わって問題がなくなるとか。

だから、どんな難問に思えることも、なんとかなります。
どんなことだって、ガイドの導きがあれば大丈夫。
取り組むことを躊躇せず、やってみましょう。
まずは半歩でも。

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このところ受け取るメッセージは、
すべてといったら何もかも、アルガママでOK。
すべてなんにも心配しなくて大丈夫。ということでした。
何も心配しなくても、先を思い煩わなくとも、
スピリットガイドたちが用意して目の前に置いてくれたレッスンに、
ただひたすら取り組むだけでいい。
目の前に提示されたことに対して、
恐れず受け止めて、勇気を持って進む。
そうすれば、思っているよりもずっと、
素晴らしいギフトがもたらされるのです。

そういうレッスンを、いくつもしていました。
思い煩うな。心配するな。大丈夫。と、
何度も何度も、重ねてメッセージされました。

一見、こちらを選んで大丈夫?って思えることも、
ガイドが示したことだったら、思い切ってそちらを選びましょう。
その方が、実はずっと心晴れる、素晴らしい道です。

私のところへ来る相談も、
そのようなお答えをすることばかりでした。

特に経済的な不安と関連していることが多くて、
安定した道を選ばないことは、勇気がいります。
でも、ガイドのメッセージを信じる方が
ずっとずっと心が自由に、そして、幸せに、
そして、実は豊かに生きられるのだから、頑張って。
と、お伝えしました。

お子さんがいたら、尚更迷うでしょう。
でも、子供のためだからと無理して、
自分らしさを押し殺し、自分の夢を諦め、
暗く苦しんで生きることは、
かえって子供の為になりません。
お父さんがお母さんが鬱様になる姿なんて
子供は何より見たくありません。

子供は親の姿を見て、
自分も大人になったら我慢して生きなくては
いけないと思い苦しむでしょう。

親が自分らしさを保ち、明るく心健やかに、
自分の夢に向かって頑張れば、
少々貧しくとも、前向きに工夫して、
家族でよく話し合い、一致団結して、
諦めずに生きる、そういう姿を見せれば、
子供に健やかな心と、勇気と夢を与えます。
自分らしく夢を持って生きてもいいのだと。

子供たちは親が幸せに笑っていて、
さらに前向きに頑張る姿を見たいのです。

それは、お金や財産を残せないとしても、
何よりも大事な財産だと思います。

お金は後から絶対着いてきます。
スピリットガイドのメッセージを信じ、
前向きに取り組んでいたら、必ず。

もし、苦しい時期があったとしても、
それは魂の成長のために必要なプロセスなのでしょう。
なんとか切り抜いた後には、きっと笑い話になります。

経済的な苦しいことも、
機械のようになり、心が不自由でいる虚しさに比べたら、
ずっと幸せでいられますよ。
それは、高度成長期、バブルの時代のやり方で
もう十分、分かったのではないでしょうか?
そのやり方は愛のある幸せに満ちたやり方だったでしょうか?
子供たちにとって幸せなやり方だったでしょうか?

パートナー、家族と相談し、助け合うこと、
それからスピリットガイドとの連携は忘れずに。
それさえきちんと出来ていれば、道に迷うことはありません。

先週はそんなメッセージをもらいました。
 

前回、母と解凍ワークしたことをお話ししましたが、
それによって、いろんなことに気付き、
自分のところに持って帰って、母と弟のことを振り返り、
それが、一緒の家庭で育ってきた自分のワークにもなりました。

母が叔母達との確執を涙ながらに話してくれて、
そのおかげで気付いたことがありました。

仲違いの相手は、母の二番目のお姉さんと、お兄さんのお嫁さんの二人。
実はこの二人のおばさんは、
「要領が悪くて、言葉で上手く表現ができない」タイプです。
お姉さんの方は、ひとりだけ子供の頃に養女に出されている。
母も養女にと望まれたが、母は小さいからと身体が弱いからということで、
手元に残すことにし、養女の話を断ったそうです。
物質面での苦労は母の方がしたかもしれない、世間にも揉まれたかも、
でも、裕福な家に育てられたけど、一人だけ家を出されたことは、
経済的な苦労よりも、心に残るのではないかと思った。
姉妹の仲で末っ子で、一番可愛がられた母に対して、
態度が冷たいのは、分る気がする。

もうひとりの長男のお嫁さんは後妻なのですが、
先妻の子である従姉弟たちは母親のように、うちの母を慕っていて、
何かというとうちに遊びに来ていた。
叔母は先妻の子供たちとうまくいってなかった。上手に表現できない人なのでした。
叔父さんは一番末の妹の母をとても気に掛けていて、可愛がっていた。
はきはきと物怖じせずに話し、世間知があり要領よく賢い母を一目置いていた。
同じように後妻で結婚した母は、子供たちと仲良くしているので、
無口で何も言い返さないお嫁さんだったけど、責められているように思ったかもしれない。
叔父が亡くなった時に、叔母さんから一方的に縁を切ると言われたと
母は涙ぐみながら怒っていた。
「そんなこと言われるようなことはしていない」と。
確かに理屈に合わないことは、母はしていないだろうなーと思う。

要領が悪くて、気が利かない二人の叔母と、
母は、あういう人なのだから、と思って立ててきたというのだけど、
不器用な弟には、叔母さんたちのようになってはいけないと思って
注意してきたのに、直らなかった。育て方が悪かったのかなんて
言っている。

この言葉を聞いて、なるほど!そうだったか!と腑に落ちたのです。
ここが母の課題だったんだなーと。

要領が悪くて不器用な、気の利かない人たちを、
母は認めることができないのだなぁと思った。
認めているようで認めてない。面とは向かって責めてはいないけど、
無言の圧力というか、言わなくても態度で否定をしてきたのかも。
長年の否定を黙って感じてきた叔母さんたちがここに来て、
爆発したのかもしれない。
ずっと、何十年も何も言わない人たちだったみたいですが。
言葉で表現することがとても不得手だったので。
だけど、やっぱり黙っていられない作用がここでも働いたのね。

母は面倒見がよく、人にとても慕われる。
性格も明るくて、要領が良くて、賢くて、
いつも正しくて、特別に愛されることが多い。
でも、ここが欠けていたんだなー。
だから、あの弟なのか、と合点がいった。

弟は、不器用で要領が悪く、言葉で表現することが不得手で、
ぶっきらぼうで無頓着に思われて誤解される。
ほんとうは繊細で、優しくて、とても我慢強い。
ただ、自己否定がとても強いので、
自分さえ我慢すればいいと思うようなところがある。
今でも大工になったんだけど超不器用で、真面目で欠勤しないのが取り得で、
こんな自分をやとってくれるところがあるだけで有難いと思っているらしい。

母はこんな弟を歯痒く心配に思っています。
でも、それは弟にはちょっと否定されている感じがしてるかも。
しっかりできない、要領よくできないことを責められているように
感じているんだろうなぁと思った。
自己否定を何とかするのが弟の課題だから、
母はまさに打ってつけの鏡なわけなのね。

私は今回、母と弟のことで、もうひとつ気付いたのです。

私は健康だったし、外へ目が向く気質だったから、
子供の頃から家にいるよりも、外へ気持ちが向いていて、
それに自分のことじゃないから、今までとりたてて思い出していなかったんだけど、

そういえば、弟は、母と出会った5歳の頃、
未熟児網膜症で目が悪いことを、母が観察して発見し、
遠い大学病院まで検査や治療に弟を連れて出かけていた。
それに弟はアトピーがあって、よく血だらけになっていた。、
まだ治療法もそんなに言われていない頃、
何が原因なのか母が探り当てて、食事制限をして、
がっついて飲み込んで食べる癖を直したりするのに、
私は隣で、子供だったのでなんだか大変だなーと見ていただけだったけど、
母と弟は食事時はいつも戦いながらしていた感じだった。
アレルゲンの入ったお菓子なんかを食べさせないように隠したりしてた。
そうして、何年後かに改善されたのでした。

思えば、自分が生んだ子供でもないのに、
母は弟を、ほんとうに必死になって育てたんだなぁと。
母親になった今、とてもよく分るのです。
私なんかよりも、母と弟はずっと向き合って、
濃密に関わりあってきたんだな。
ずっと一緒に暮らしているし。

父が亡くなった時、母には自分の実家に帰るという選択も有ったので、
弟に残りたいんだけどどうかと聞いたのだそうです。
弟は「一緒に暮らしたい」と言ったので、今も二人で助け合って暮らしてます。
これが母にはとても嬉しかったと言っていた。
もともとは血の繋がりはないわけだから。
弟は、ちゃんと分っているんだなぁと思った。

母と弟は、強い縁という繋がりで結ばれているんですね。
同じ親の姉弟でも、それぞれやはり役割というか、課題はちがうということを知りました。
それぞれに、いなくてはいけない場所というのがあるのですね。

それから、一緒に暮らしている相手というのは、
やっぱり、いつも一番の課題の相手なんだね。

 母と弟が教えてくれました。

シフトチェンジ後はじめての里帰りは、やはり顕著でした。
チェンジの作用を受けているのですね。誰も彼も。
核心を出さずにはいられないということなんだなと思いました。

実は私と子供たちは、実家にいると、アレルギー性鼻炎が出て、
クシャミはとまらないわ、目は痒いわ、 3日くらいいると、
もう限界な感じで帰ってきます。
実家に居させてもらえない作用が こんな風にも働いているんだなーといつも感じています。

そういう初期設定の星を持っているんです。私は
逆に弟は墓守りの星というか、 跡継ぎの星なので、 実家から離れられない。
今回はそういう生まれながらの”家との縁”を改めて感じました。

私、故郷の町、大好きなんだけど、アレルギーでいられないなんて・・・・。
確かにうっかりすると、もどりたくなっちゃうから、
ここにいるべきでないと 言われているのですね。
行く度に確認しているのでした。

さて、今回は母の”核心”が明らかになりました。

私と母とは、一番しんどくて助けが欲しいときに、
お互いに家族なのに頼れないということに、今まで何回もなっているのです。
これも縁なのでしょうね。
そして母は「次々と試練が来て、自分が背負って乗り越える」という星を持ち、
私は「親に頼れない自力で道を切り開く」という星を持っている。

うちの父が亡くなる前、母は父の介護と
病院への支払いのために仕事もしてとても大変だった時、
実は私はちょうどDVから脱出しシェルターに入っている頃で、
裁判も抱え、精神と人生を立て直すのに必死で、かなり切迫していたので、
居場所を知られている実家には近寄ることもできなくなっていたのだけど、
それを、両親にはその時どうしても言えなかったのでした。
母は察していて私を責めなかったけれど、
やっぱり父のことをすべてを背負っていて、かなりしんどかったのよね。
今回初めて、そのことで、涙ながらに、
あの時は本当はすごくつらかった。歯を食いしばって頑張ったのよと話した。

母は普通よりも気丈でしっかりして賢い人で、
知り合う人からたいてい一目置かれるような人で、
家族以外に家族みたいに親身に助けてくれる人が大勢いたりする。
実際にたくさんの人を助けてきているので、母のように慕われている。
いつも娘のような人が周りにいっぱいいた。
それで、私も実家のことは、私が助けなくてもいいんじゃないか
というような気持ちがあった。私自身も血の繋がりはないわけだし。
もしかしたら、ひがみだったかもしれないなんて今は思う。
でも、本当は”娘”である私に助けてもらいたかったのよね。

それから私も子供を生むということになって、頼むべきか悩んだんだけれど、
良い機会と考えて、ここは”母”に助けてもらおうかと思って連絡したら、
そういう時は、ちょうど母も具合悪くて、これから入院するということになってました。

私は妊娠すると切迫早産になり、自宅安静からじきに入院して絶対安静になる。
それでお互いに、見舞いも出来なくなって、助けるどころではないのです。
次の出産の時も、その後、何ヶ月か入院した時も、
ちょうどいつも母の具合の悪い時期と重なって、
結局、実家に頼れず、主人の実家にいつも頼ることになっている。
それで私は主人の実家との絆がますます強まる結果となって、
ますます自分の実家とは縁遠くなってきたのでした。
これも、自分の実家よりも主人の実家と縁があるということかしらと
感じないではいられませんでした。

母は母で、入院していても、娘は見舞いにも来ないわけだから、
寂しいしつらかったのですね。入院するって心細いものね。
もともと持病があって慣れていたとしても。

お互いに大変な時がいつも重なって、自分のことで精一杯で何にもしてあげられなくて、
お互いに「してあげられなくて悪かった」引け目があって、
今まで生涯で一番、しんどくてつらかった時期の気持ちを、
冗談ぽく大変だったのよ~とは言っても、隠すようにその話題には触れませんでした。

それが初めて、今回の里帰りでは涙を流しながら、あの時は本当にしんどかった。
と打ち明けて話してくれたのでした。

私は私で、大変な時に「何もしてない」良心がちくちく痛んだけど、
やっぱりあの時もあの時も、自分のことで精一杯で、
それどころか、本当は助けてもらいたかったくらいなのに頼れなかった。
私も「一番大変な時に助けてもらえなかった」気持ちを奥底に持っていたんだな。
ってことも話を聞きながら、自分の気持ちも確認しました。
ここ、母と私、一緒なんだなーと思いました。

それから母はさらに姉妹(おばさんたち)との子供の頃からの確執とか、
インナーチャイルド的な話も初めて語ってくれました。
末っ子で人から愛された母は、それゆえに疎まれることもあったようです。
でも、上の姉妹は年が離れていて、母子家庭だったので一人だったことが多く、
子供時代は一人でいる時間が多く、とても寂しかったということも話してくれました。
母の話を聞けて良かったと思いました。これで少し母も楽になれたかもしれないなぁ。

実家から帰ってくる日の朝、夢を見ました。
昔住んでいた家の 大きな冷蔵庫の中から、
牛乳を探し出して、その頃の家族と飲みました。

フリーズしていた何かを、 成長のための栄養になる何かを
取り出して、自分の中に受け入れたようです。私。
私でなくて、母も同じだと思うのです。
それから、母がフリーズから解凍されたことで、
弟にも影響があるのだと思いました。
次回はそのお話をしたいと思います。
 

 

 

新しいレッスンはどうですか?皆さん。
レベルアップしてきて、アップアップ?
私、ちょっとそんな感じしてました。

どうも多くの人に共通のレッスンのようなので、
それぞれに合わせてだけど、テーマが共通っていうか。
なので、お話しましょう。

そのテーマは「自己不信」、
これの強化キャンペーンだったみたい。

シフトがチェンジしたので、
クラス替えのようなことが起こりました。
その結果、今まで同じクラスの人とクラスが分かれてしまったり、
新しいクラスメイトと出会ったりすることも起きていました。
なかには、クラスメイトが同じだけど、
教室や先生やレッスン内容がレベルアップしてちょっと雰囲気が変わった
という感じの人もいるかも。

さて、ここで最初に始まったレッスン。

”自分らしさ”を出すことを求められ、
そうした結果、なぜか違和感や拒否感などを示され、
それを感じると、
「私はどこかおかしいのかな?まちがってたかな?」
と自己否定、自己不信に陥ってしまうのです。

自己不信があるからこそ、
違和感や拒否感が起こるとも言うかも。
ともかくレッスンが始まったので、浮上してきたのです。
これは、”自己不信”を引き出され、
それに取り組むために起こったのです。

割合と根本的なことへの自己不信だったりして、
ストレートパンチくらったようなもので、
ちょっとフラフラきた人もいるかも。

自分を信じられない、疑ってしまう、
否定するって、こんなにグラグラくるのね。
こんなにしんどいのね。って確認させられました。
体に力が入らない。頭痛もする。やる気も起こらない。
誰よりも何よりも、自分が自分を信じられないって、つらい。
すごい作用がある。
だから、まずこのレッスンなんだ。って分った。

私はこのせいで、自己不信の元になる、
劣等感を刺激する人からの話を聞きたくないって、
思っていたらしく「中耳炎」になってしまいました。
痛みがたまらないので、病院行きました。
同時にそれだけでは治らないので、
待合室でガイドとコンタクト取って、原因を探りました。
自己不信が原因だとここでさらに確認し、
それの分析の手伝いをガイドにしてもらい、
それから家に帰って、ちょうどシンクロしていた仲間たちと
メールやらでシェアさせてもらって、
このテーマについて向き合いました。
シェアすることが、テキメンに効きます。
それで中耳炎は治癒しました。
そうそう。薬のおかげもあります。物理的な処理も一緒にね。

中耳炎は子供がなる疾患だから、
「もう子供っぽい感情ですよ」て意味も含まれてる。
手放す頃ですってことね。
劣等感とか持ってる頃じゃないって言われたわけね。
うひゃー。恥ずかしい~!「劣等感」なんて思春期のみたいー。
でも、確かに自分の中にあるのでした。

ガイドと話をしていて、
自分のガイドはひたすら自分だけを導きサポートするために、
すべてを行ってくれているんだ。ということを教えてもらった時、
なぜか、劣等感は消えてきました。

子供ってそういえば、
自分だけを誰よりも愛してくれる親の存在がないと
苦しくなるんだっけね。
兄弟と愛情受けてる認識に違いがあるだけでも、
とても苦しいものね。

誰でも、ガイドはあなただけを100%見つめて、
大事に思い、サポートしてるのです。
私たちが課題をクリアできると信じてくれている。
私たちの選択を前面的に認め、サポートしてくれる。
私が選んだことだから、という理由で。
全幅の信頼と愛情なのね。

私も私自身をまるごとそのまま全てを認め、
全幅の信頼と愛情を持てるまで、
このレッスンは続くのね。

先は長いのだー。なにしろ、テキストの1ページ目を開いたばかり。
でも、とりあえず、1ページ目クリアのようです。

すっきりしたという気持ちとともに、
停滞していた時間が動き始めました。

 


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