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日々、魂の成長レッスンに励む皆様、こんにちはー。
私も、甘受してから、加速的にレッスン励んでます。
いろんな人と関わって、深く学び合っているので、
時間が濃くなっているような気がします。
学びのない日はありませんねー。
どんどん魂は学び、成長しているのに、
でも、時々停滞しているように感じることありませんか?
一歩進んで二歩下がっているような気分を。
調子よく階段を登っている時は、
自信も漲り、気分爽快にどんどん登っていけそうだけど、
何段も登ってきて、ちょっと上まできたな、と思うと、
上へ登る足が重くなるもんです。
それで、つい立ち止まってしまう。
踊り場で座り込んでしまう時だってある。
登ってばかりじゃ疲れてしまう。
それも自然の流れなので、焦らないでね。
成長が止まってしまったどころか、悪くなっているなんて
思えることも、あるかもしれない。
でも、登ってきた階段を下がってしまったわけじゃないの。
ちゃんと、生まれてからずっと、確実に登ってきてる。
途中でリタイヤ(自ら命を絶つこと)してない限り。
例えば、こんなレッスンもあります。
やっと自分の魂のガイドを感じられるようになり、
メッセージも鮮明に、これからは生きることもずっと楽になりそう。
と、感じたとたん「今度はシャットダウンしてみましょう」って、
つながりをわざと感じにくい状態にされることもあります。
実はこれも大事なレッスン。
一度ガイドの存在を知り、繋がってから、
シャットダウンを体験すると、
繋がっていない状態がエネルギー不足のようにしんどくて、
うす暗闇を手探りのように歩いているように、
先が見づらくて、いかに心細いかを知ることができる。
そうすると、繋がっていない人のつらさ、不安を実感できる。
明るさを知るには、暗闇も知ること。
それも大事なレッスンなのです。
人はいつも上り調子な時ばかりじゃない。
波の大きさは人それぞれだけど、波のない人はいません。
大きな波の中で、小さな波がくり返し揺れ、
その波に運ばれる船のようなもの。
波の頂上と、波の谷間では見えるものはちがうけれど、
アップダウンしながらも、
まちがいなく、先へ先へと進んでいるものです。
調子悪いっていう学びもあるわけだから、
そんな時、進んでいないんじゃないかって焦らないでね。
いつだって、今いるところに、今の自分にぴったりの
学びが用意されている。
スローテンポになっていないと、
感じられないことだってある。
例えば、道端の小さな花は、
自動車を運転してさーっと、通り過ぎたら見えないけど、
ゆっくり歩いていたら、気付くことができる。
ってことです。
”甘んじて受ける”。若い頃から私のスローガンでした。
苦い薬も甘いものとして感謝して受け取る。
良薬口に苦し、ですからね。
でも最近、ご褒美に甘いものばかり食べられるようになって、忘れていたようです。
苦いお薬、飲んでませんでした。
さて、前にも触れましたが、
私は人にスピリチュアルな話をすることを、
極端に避けてきていました。絶対に話すまいと口を噤んでいた。
前世で迫害や殉教を体験していて、
人からおかしいと思われること、否定されることが
怖くてならない感情を前世からひきずってきていたのですね。
でも、本当は、魂の秘密は求める人には分かち合わないといけない。
前世を知ることは神さまからの特別ギフト。
知ることが出来る者は、伝えなくちゃいけない。
分かっているけど、怖くてできない。
人を導く自信が持てなくて、取り組めない。
それがずーっと、今生の私の課題だったのです。
ごく限られた、話が分かってくれる人にしか真実が話せない。
これは、我ながら、すごい人見知りですね。
それが、ネットという世界と出会い、
ブログを始め、多くの人々が魂や前世や精霊や神仏について、
触れたいと願い、求めていることを知り、
私としてはかなり一大決心をしてこのブログを立ち上げ、書き続けてきたのです。
でもね。ブログだけで勘弁してよ。
正直なところ、そんな気持ちでいたのです。
ところがブログは練習だったみたいです~。
少し前から、私のもとでスピリチュアルな世界に目覚めた人を介して、
いろいろなことで困っている方と実際に会って、
霊的な相談を受けるような流れになってきてしまった。
それに、前回紹介したナビィさんのようにスピリチュアルな話が
普通の会話のようにできる人とも会ったりして、
ブログだけじゃなくて、実際に話す機会が増えてきました。
スピリチュアルなことについて、もっともっとお話しなさいね。
精霊にもそう言われていても、
実際にそういう場面で話そうとすると、とても憂鬱になるのでした。
そんなこと突然話したら変だわ、とか、
この人は話さなくても分かっていることだから話さなくていいよ~。
とか、いっぱい言い訳をくっつけて、押し黙っていると、
首や肩がだるーく、重ーくなってきます。
どこかに行ったりすると付いてきたり、人が連れてきたりする、
体のない、さまよっている魂たちが、
スピリチュアルな話を聞きたいから、と寄ってくるのです。
彼らも必死です。彼らだって学びの徒には変わりなく、
少しでも気付きを得て、ほんとうは縛られた心を解放されたいのです。
それで、スピリチュアルな話の気配を感じるとついてくる。
それなのに、私が口を噤んでいると、
話してくれないのか?とプレッシャーをかけてくる。
憑依体質の人なら、分かると思うけど、
本当にだるーく、イスに腰掛けていることさえしんどくなってきます。
とうとう耐えきれなくなって、口を開き、
精霊からのメッセージなどを目の前の人に伝えると、
スーッとだるさがとれて楽になる。
それを見かねて、ナビィさんから、
そろそろカンネンしないと、もっと大変なことになるよー。
気持ちを切り換えて、楽しんでやっちゃおうよー。
なんて励まされ、そういうメッセージが他にも重なり、
とうとう、私も改心しました。
忘れていた自分のスローガンを思い出したのです。
そうだった。甘受しなくちゃね。
気持ちが切り替わった私のところに、
さっそく、その日から、相談が舞い込んできます。
待ってましたと言わんばかりの展開の速さ~。
それから、ここで知り合った方とも
ブログでは説明しきれないことをメールでやりとりしたり、
一人一人の方と、それぞれの前世や魂の課題に深く関わるように、
まさにシフトチェンジしてきました。
本当に忙しくなってきちゃいましたが、
苦いお薬は、飲み込んでみたら、甘いお薬に変わりました。
最近はすっかり相談を受けるのが楽しくなってきました。
ほんとに分かってくれるかな~?と恐る恐る話してきたんだけど、
みんな、とっても嬉しそうに、楽になった、元気になったと、
前向きに受け止めてくれるんだもの。
嬉しくならないわけがありません。
もっと人を信じなければいけませんね。
最初の結婚を終わりにして、ひとりで自由になった私は、
精霊から集中講義を受けていました。
講義の内容は、人生を自分で創造することについて。
人生に苦しい思いは付きものなのか?
と、私が問うたことが始まりだった。
時には苦労しなくてはいけない時もある。
しかし、人生を自分で創造的に生きることによって、
苦を苦と感じないで、自分の望む方向へ人生を導くことが出来る。
”現し世”と言われるこの世は、どこを現しているか?
魂の世界、霊の世界、の反映である。
思いや念が、形となっているにすぎない。
精霊の答えは、こうだった。
それについてのいくつかの本(主にジョセフ・マーフィー氏の本)へ導かれ、
よく読んで、実感するまで、レッスンした。
人生は、潜在意識の現われ。
想いが深く魂にまで届いた時、現実となって現われる。
つまり、潜在意識に自分の思いを届かせれば、
現実を創り出す事ができる、とも言える。
それが自分勝手な欲であっても、潜在意識に届いた思いは実現する。
でも、もちろん、それではいつか虚しさを感じることは分かっている。
愛に沿っていなければならない。
その上で、私は、限りのある今生をどう生きたいと願っているのか?
私の魂は、何を誓って生まれてきたのだろうか?
私は自分の魂の声をじっくり聴くことにした。
そうでなければ、人生をどう創造すればいいかわからない。
私の魂の望み・・・・
愛に生きること。人と、それから精霊と愛し愛されること。
それを表現すること。それは絵を描くこと。
それから唄を唄うこと。
もっと、もっと、鮮明に微細にイメージングしなければ。
私が表現したことを理解し、サポートしてくれる、
一緒に支えあえるパートナーが欲しいと思った。
私の唄に伴奏してくれるパートナーがいい。
その人とは、自然とともに、出来たら海のそばに住みたい。
それも暖かい場所がいい。そこで愛に生き、表現する。
自分の絵の個展をするイメージ、
唄を聴いてもらうイメージ、
パートナーを持ち、田舎に家を持つイメージ、
を、くり返し、鮮明に、どんどん微細に思い描くことにした。
それから、この時生まれて初めて、子供を持つビジョンが浮んだ。
(私は若い時に子宮内膜症で不妊の疑いがあると言われ、
事実それまで一度も妊娠したことがなかった)
子供を持つ誓いが眠っていたのだと分かり、
そして、私はそれを望んでいた。望んだのも初めてだった。
自分の子供のイメージも付け加えられた。
そんなイメージングを4ヶ月位していた。
まず最初に、パートナーとなる人と出会った。
ちゃんと、すぐにその人だと分かった。
シルシが付いているように。
その人は音楽をする人だったので、
一緒にバンドを組み、ライブをした。唄う望みが叶った。
そのうち、不妊のはずの私が妊娠し、子供を出産した。
ひとり目出産の後、ひょんなことから個展をしないかと持ちかけられ、
ささやかながら個展を開催させていただくことになり、
次の妊娠をきっかけに、パートナーの郷里である、
南の島へ、将来は帰ろうという話になった。
現在、帰郷するために準備をしている。
気がつくと、あの頃思い描いていた望みは
すべて実現しようとしている。
苦労も在ったけれど、それは学びと、次へのステップだった。
「人生を自分で創造的に生きることによって、
苦を苦と感じないで、自分の望む方向へ人生を導くことが出来る。」
精霊の言葉は、ほんとうのことでした。
家で自分でデザインして雑貨を作るのが仕事ですが、
このところ、仕事がはかどりません。
家事やら、子育てやら、相談やら、雑用やらがいっぱいで、
そのうえ、スピリチュアルなメッセージがいっぱい来て、
ここに書かないと、頭がいっぱいになってしまう。
で、仕事する時間が少なくなってしまう。
だんなには最近は生活費全部用意してもらっているけど、
お仕事しないと、余分なお金は入ってきません。
将来のことを考えて貯金だってしたいのに、
最近は出費が多くて、貯金がなかなか出来ません。
それに、作家だと言えるくらい、作ることでちゃんと稼ぎたいのだ。
自分の生きがいとしても。アイデンティティとしても。
そこで、精霊にお願いしてみた。
どうか仕事をさせてください、と。
精霊の答えはというと、
「ちゃんと必要なものは、必要な時に入ってくるでしょう?」
大丈夫、なんとかなるから。」
・・・・私の精霊さん、お金についてはいつもそんなんです。
それでも、稼ぎたいと言ってみると、
「もっとあとでゆっくりと」
どうも、今は稼がせてもらえないようだ。
私は今までずっと自分で稼いできた。
三回目の妊娠と入院までは、生活費はシェアして半分払ってきた。
私の方が多かった時もあったくらいで。
だから、自分で稼げないと、どうにも居心地が悪い。
だけど、精霊は言うのです。
「今のままで尊重されるように」と。
主婦業だけでは尊重されにくい、だんなからも、社会からも、自分自身からも。
だけど、たとえ実際に代価をもらっていなくとも、
本当は、十分に必要とされる仕事をしている。
家事が完璧とか、そういうことじゃなくてね。
みんなの心のクッションとしてね。
みんなの心のよりどころとしてね。
存在しているレッスンなのね。
これは、自分が自分を尊重する、というレッスン。
そうすれば、周囲の人々も、私が稼いでいなくても、
家事が完璧でなくても、尊重してくれる。
怠けるということでもなくて、
できることをできるだけしているだけで、十分に。
ついつい自分で稼がないと、養ってもらっていると自分を卑下してしまいがち、
自己評価が低くなってしまうのよね。
稼がなくても尊重される、って、
働いて稼ぐレッスンよりも、けっこう難しいレッスンですよ。
でも、まあ、気付くと
実際にそういう風な流れになりつつある。
そんな感じがし始めた、今日この頃です。
瞑想を始めたのは、ヨガを習い始めて、教えてもらってからです。
ヨガも千手観音にやってみなさいと言われて始めたのだけど。
とっても、いいです。初めてやった時からワンダフルな体験でした。
ヨガで体を整えた後が入りやすい。
結跏趺坐(右足を左ももの上にのせ、左足を右ももの上にのせる)で、
半眼(まぶたをほとんど降ろし薄目を開ける。でも視線はまぶたを見る)にし、
手のひらは上を向け、ひざの上あたりに置き、親指と人差し指をつける、
部屋は薄暗くしてろうそくを灯し、ろうそくの灯りを見る。
ヒーリングミュージックをかけたりすると、また入りやすい。
呼吸は鼻から吸って、ゆっくり口から吐き出す。これは絶対。
最初の頃は、そんな感じでやってました。
体が整っていなくて、結跏趺坐が無理な時は、ソファなど体を預けられる楽な椅子に
リラックスして腰掛けて座る。で、半眼で、暗くするだけでもいい。
または寝ちゃってもよし。目を瞑ると寝ちゃうことが多いけど、それでもいいかな。
初めて瞑想に入った時、
最初はザワザワと音や気配が気になるけれど、それを流して、
自分の呼吸に集中していると、
手とか足とか体のある感覚が無くなって、空を飛んでいる感じになって
ふわりと浮いているような、上や下の感覚が分からなくなるような感覚で、
気付くと宇宙に浮いていた。しばらく飛んで帰ってきました。
とても気持ちがよかった。
いつもって訳じゃないけどね。
ある時はどんどんと空へ登り、やはり宇宙までも飛んでいきました。
星々が自分の横をすり抜けていって、光のようなスピードで宇宙を進むの。
ふと気がつくと、私を道案内する光っている人がいる。
孔雀に乗っている仏様。あとで調べたら孔雀明王ね。
孔雀明王は私を太陽の目の前まで導いて、
太陽になってみてごらんなさい。と言った。
さあ、と促され、太陽に近づくと、するりと、私は太陽になりかわっていた。
自分がとても強い熱いエネルギーの固まりのようになり、回転する。
回りながら、エネルギーを放つ。
とても心地よい。エネルギーを放出し続けるという業。
孔雀明王の声が聞こえる。
太陽は誰のためでもなく、自分の業としてやっているのです。
ただそれが自分の役目であるから、喜びとして。
宇宙の中で、自分の居場所で、自分の務めを、ただ果たせばいいのです。
あぁ、なるほど。こういうことなんだ。これでいいんだ。と思ったら、
私はまた宇宙を一瞬で駆けて、すとんと自分の体にもどってきた。
今では寝る前に、布団の中で、神仏や守護霊を確認してから、ひと瞑想。
私にとっては瞑想は、遊園地よりもおもしろく、ワークショップよりも為になる。