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私と仲間は、以前、必要があって、
今まで私が知らないような、神の光も届かない
深い闇を知る学びを、学んでいました。

その内容というのは、
思い方をまちがえてうっかり暗いところにいるとか、
あまりに苦しい思いをしたから、ネガティブな思いに捉われているとか、
そういう理解しやすい闇ではなくて、

悪意を持って人を貶めたり、苦しめる。
さらには、人が苦しむ姿を見たいと思ってひどい事をする。
ついには、快楽として人の命を奪うくらいの、濃い闇が存在する。
存在するのはわかっていたけど、
自分とはあまりに遠い存在のようで、まったく理解できない。
悪意を持った手強い闇を知るレッスンをしていました。

そうでないと「結局そこまでしか解からないじゃないか」と
深く濃い闇を見てきたことがある人たちには、
心の底から信じてもらうことができないから。

このレッスンが始まる前、
ガイドとの繋がりを何度も何度も確認させられた。
一人では行ってはいけないから。
それから、仲間も伴って、一緒に学ぶんだと分かった。
一人では理解することは難しいから。

「結局は同じことだと分かるはずだ」とまず言われた。
だから、恐れることはないとも。
今までのやり方はちゃんと通じる。
つまり、
ただ気付けばいいのだということ。
甘受すること、認めること、寿ぐということが、大事なのだということ。
愛というものは光であること。

それから、最初に分かったこと。

愛を求める者はまだいい。
求めるものが愛ではないものが、更に深い闇に向かう。
それは快楽という欲望。
もっともっと強くと快楽を追う者が深い闇に落ち始める。

相手が苦しんでいても、自分の欲求を追及する、その正体はなに?
と問うと、ガイドは更に教えてくれた。

普通の人の心の中にも潜んでいるそれが、何かによって増幅する。
”それ”は誰の中にも蒔かれている闇の種。
闇の種を芽吹かせ、育むも”何か”の正体は、まず”快楽”。

快楽をほどほどに留めることができず、もっともっとと際限なく求める。
その仕組みの例は、こういうこと。

たとえば、太るまで食べるということも同じ仕組みで起こる。
その快楽をとめどなく感じたい、という感覚から始まる。
性行為も同じこと。金儲けも同じこと。
当たり前に普通に全ての人が持っている欲。
でも、際限なくどんどん求めることが、闇へ向かうこと。

めんどくさい、とか、怠惰に過ごすことも同じこと。
そんなほんのささいな気持ちから、
どんどん際限なく続けていくと、闇に振れて行ってしまう。
それが極に近づくほど、強い濃い闇になる。

ひとつの装置の中の、一方は光の極、一方は闇の極。
誰もがどちらにもまわすことの出来るこのつまみを持っている。
光も闇も、別の次元にあるのではなく、おなじ仕組みにある。

光に向かうも闇に向かうも同じつまみを回し行き着く。
つまみを動かす方向がちがうだけ。
どちらに動かすかということに過ぎない。
光も闇も、ひとつの装置の中に存在する。

闇の方向へばかりつまみを動かし続けると、
あるところから、ずっと真っ暗になり、
ひき戻ることも難しい暗闇の中に捉われてしまう。

しかし、光へばかりつまみを動かしても、像は見えなくなる。
コントラストが強くなって、違う場所に濃い闇が生まれることになる。
一度光で飛ばしすぎた画像は、もとの画像にもどらない。
人生をリセットしないと元に戻れないということみたい。
光へばかり回し過ぎてもいけないのです。

光だけでも像は見えない。闇だけでも像は見えない。
ちょうどいいところがある。
それぞれに人によって多少ポイントが違うが。
多くは光だけでも闇だけでもない、ちょうどいいポイントで像を結ぶ。

光へ向かいすぎても、コントラストが強まって、
濃い闇に転じるのだなと分かった。

やっぱり中庸、バランスが、とてもとても大事なのね。

と、ここまでが1ラウンドでした。

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