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今までは誤解をまねきそうなので、
あえて避けてきたテーマなのですけど。
これはあくまでも私たちの見え方、考え方ということで
いわゆる”憑依”のことについて。
お話しちゃいます~。

人ごみや、ネガエネルギーの多いところで、
体やら首やらがどーんと重くなっちゃう、あれです。
動きたくなくなって、いろいろ支障があるよねー。
私も時々、くらっちゃいますが、
実はそれほど酷い方じゃないのです。
それは、学びが進んできた結果なのですが。
あれを、多くの人はものすごく怖がっていますよね。
まあ、しんどかったり、つらかったりするからねぇ。
それに得体が知れないから怖いのでよね。
でも、
それが元で死んじゃうのでは?
なんて心配しないで良いと私たちは思ってます。

「視える人へのメッセージ」として私のスピリットガイドが
伝えてきたことがあります。

「視えている人へは、このように言いなさい。
視えるということには、理由があるのです。

課題に取り組みなさい。
あなたのガイドと繋がりなさい。
魂の秘密を学び、生きる意味を学び、
光の道を歩むと決意することです。
決意すれば、おのずと用意されるでしょう。
あなたが学ぶことで、あなたの周りの魂もまた学びます。
あなたは船頭(先導)なのです。
船を漕ぎなさい。
多くの魂を乗せて、船を漕いでいきなさい。」

からだがない霊という存在は、
実は生きてからだがある霊(私たち)よりも、
意外といっぱい存在しているんです。
以前、http://cocoroncho.blog.shinobi.jp/Entry/14/ で
書きましたが、生きている私たちは幸運な存在なのね。
からだがない存在は、私たちの周りで、私たちと共に
そのままの状態で、学んでいたりします。
生きるということは、自分ひとりでなく、
他にも見えない存在に、自分の生き様を見せているのです。
ガイドはもちろん守ってくれていて、
ガイドが許しているからこそ、
そういう存在が、”同じ舟(課題)に乗っている”のです。
私たちが気付くことで、彼らも気付き、
ひょっとすると成仏して新たな体を得て生まれ変わる準備に入ったり、
まだまだ成仏するには学びが足りなくて、
更なる課題を体験するためべつの舟に移ったりする。

彼らも神様から見ると、同じ”学びの徒”でもあるわけ。
ちょっとくらい学びを共有しても、いいんじゃないかしらって、
私などは思うんです。

憑依体質というのは、そういう存在を感じやすい人なのだけど、
彼らは、「私たちを通し、一緒にいくつかの体験をし、
私たちがするスピリチュアルな話を聞き」たいのです。

これも、必要だから起こっているのですよね。
必要のないことはこの世に起こらないので。
実は、憑依されて、
苦しみ、欲を捨てられず、もだえている人たちの気持ちを、
一緒に味わい、理解することは、
それもまた、
生きている自分が、数ある課題の中から選んでいる課題なんです。

私たちはこれを”菩薩の学び”と呼んでいます。
霊的なボランティアだと思ってます。
情け深く優しい魂が、そしてそれを学ぶ必要がある人が、
そのような性質を備えているんだなぁと思ってます。

だから、菩薩の課題というわけです。

闇は怖がらずに。怖がるから怖いものになる。
怖がらない者には、怖い姿は見えず、
怖い仮面の内側の真実の姿を見せてくれます。

光と闇が共にあるからこそ、
この世界はこのように美しいのです。

それがこの課題で最終的に学ぶことじゃないかと
私は思っています。

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